洲之内徹

<「男は一代」補遺 金子徳衛 >より

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パリにいる間、徳衛さんの頭には、寝ても覚めてもド・スタールがあった。モンマルトルで買ったという小冊子のド・スタールの画集を、徳衛さんはいまも大切にしているが、アトリエの書棚からその画集を出してきて、その中の瓶の絵を私に見せながら、「この絵なんかが不思議に見えてねえ、抽象ではなく具象なんだけど、この美しさ抽象の美しさでしょう、瓶は瓶なんだけど、そういう認識を超えたこの瓶の美しさ、これに惹かれてねえ、どうすればこういうふうに物が見えるんだろうと……」と言いかけて、そこで立って行って、奥の方から一枚のカンバスを提げてくると、「その頃、リベリアという安ホテルにいましてね、そこの部屋のテーブルの上のカップとか水差しとか椅子とかでこれをやってみたんだけど、どうですか」と言う。

私は、アトリエへ入ってきたときから眼についていた壁に掛った毬栗の絵を、徳衛さんの言葉を頭に置いて更めて見て、「なるほどそうか」と思った。この栗に限ったことはないが、私はいつも徳衛さんの絵を見ながら、徳衛さんがド・スタールを見て感じるのと同じことを感じていたのだ。つまり、いつもこの美しさは何だろうと思うのだが、物が物を超えてその物以上の物になるとき、物は真に美しいのかもしれない。それが抽象ということかもしれない。
さらば気まぐれ美術館1988年,新潮社 所収)