檜山 東樹

インターネットがない時代に人はどうつながったか?

「ペン・フレンド」の記憶と手紙の力

半世紀近く前になるだろうか、中高生や20歳前後の世代に「ペン・フレンド(あるいは、ペンパル)」というのが流行ったことがある。雑誌などの専用コーナーに自己紹介を投稿し、希望条件や趣味などが合致した見ず知らずの者同士が、手紙を交わし合うことによって友だちになるというもので、「文通仲間」とも言った。
文通希望の多くは、趣味や嗜好、あるいは将来の希望や目的を同じくする相手というよりも、異性のペン・フレンドを求めるものだったはずで、今風の見方をすれば、手紙を手段とした素朴な「出会い系」のようなものとも言える。動機が不純である分長続きしないのが大半だったが、稀に、ペン・フレンドから結婚へと至ったという人もいるから、捨てたものではない。

当時見ず知らずの者が出会う場は少なかったし、知り合って交際するにも、お互いが目と鼻の先にでも住んでいない限り、声を聞くのも胸の内を語るのも大変だった。電話は全戸に普及していなかったし、電話代も高かった。まして、遠く離れている者同士が頻繁に交信する手段は、手紙以外になかったのだ。

一人一人が電話を持ち歩き、インターネットによって全世界、どれだけ離れた場所にいる人とも瞬時につながる現代では昔日の感がするが、手紙がコミュニケーションの中心手段だった時代は、ほんの数十年前まで100年以上にわたって続いていた。
メールやツイッターが当たり前になっているいま、手紙という伝達と自己表現の手段は、確実に衰退の一途で、そのうち「書簡」という日本語も国語辞典から消えてしまうのかも知れない。
だが、急き立てられてことばを厳選しないメールや、舌足らずなツィートのシャワーばかりを浴びていると、ことばへのこだわりや感性が鈍化していくような強迫観念に見舞われることがある。
そんなとき、ことばを伝える手段としての手紙の豊かさと、人とつながる書簡という形式の深さを改めて思い起こす。

そんな手紙の力、書簡のやりとりが、見ず知らずの人々をつなぎ、それぞれの人生を20年にわたって豊かにしたという実話を基に1980年代後半、インターネットがまだ揺籃期にあった頃に製作された日本未公開映画を今回取り上げたい。

イントロは古書注文の手紙から

1949年10月5日のアメリカ・ニューヨーク。東95丁目14番地のアパートメントに住む駆け出しの女性脚本家、へレーン・ハンフは、大好きなイギリス文学の古書を探して市街の本屋を訪ねるものの、目当ての書籍はいずれも高額な稀覯本扱いで手が出ない。「もっと安いのはないの?」と店員に問うと、学生向け専門の書店へ行ってみてはどうかと返される。カチンと来た彼女は、つい店内に響くほどの大声で「ここには、イギリス文学を読む人はいないのね!」と毒舌を吐いて、他の客の冷たい視線を浴びてしまう。

いたたまれず店を出た彼女、ふと、通りのニューススタンドで売られていた『サタデー・レビュー』紙に目を留め、取り上げる。彼女が惹きつけられたのは紙面のニュース記事ではなく、広告欄だった。そこにはイギリス・ロンドンの、絶版本を専門に扱う古書店が広告が掲載されていたのだ。

大急ぎでアパートメントにとって返した彼女は、タイプライターに向い、一通の手紙を打ち上げ郵送する。宛先はイギリス・ロンドン・西中央2、チャーリング・クロス街84番地マークス社。広告をだしていた古書店である。

<貴社では絶版本を専門に扱っておいでの由、『サタデー・レビュー』紙上の広告で拝見いたしました。私は“古書”というとすぐ高いものと考えてしまうものですから、「古書専門店」という名前に少々おじけづいております。私は貧乏作家で、古本好きなのですが、ほしい書物を当地で求めようといたしますと、非常に高価な稀覯本か、あるいは学生さんたちの書き込みのある、バーンズ・アンド・ノーブル社版の手あかにまみれた古本しか手に入らないのです。

今すぐにほしい書籍のリストを同封いたします。このリストにのっておりますもののうち、どの本でも結構ですから、よごれていない古書の在庫がございましたら、お送りくださいませんでしょうか。ただし、一冊につき五ドルを越えないものにしてください。この手紙をもって注文書に代えさせていただきます。>

1986年にハリウッドで製作された映画『84,Charing Cross Road(チャリング・クロス街84番地』は、ニューヨークからロンドンへの英文学の古書を求める手紙から始まる。

現代ならオーダー・メールかウェブサイトの注文フォームに入力して、送信ボタンクリック・・・というところだが、どうだろう。この手紙は問い合わせと注文書を兼ねていながら、書き手の心情と熱意をよく伝えていると思うのだが・・・。

タイトルの「Charing Cross Road=チャーリング・クロス街(または、チャリング・クロス街)」は、知る人ぞ知るロンドンの古書店街。ちょうど神田神保町のような場所である。

本をめぐる書簡文通20年の物語

やがて、ヘレーンのもとには、マークス社・FPD氏こと主任バイヤーのフランク・ドエルによる、いかにも実直そうな返信が届く。そして、そこに記されていた通り数日後には、彼女がリストアップしたうちの2冊-『ハズリット随想録』とスチーブンソンが収められた『懇談録』が送られてくる。

映画『84,Charing Cross Road』の1場面

映画『84,Charing Cross Road』より、アン・ヴァンクロフト

いずれの書籍も、申し分のないきれいな古本だった。とりわけ『懇談録』の立派な装丁とクリーム色の質の良い頁紙にヘレーンは小躍りするものの、同封の請求書には1ポンド17シリング6ペンスの金額が。はて、・・・何ドルなのか?

ドル換算が出来ない彼女は、上階に住むキャサリンの恋人・ブライアンがイギリス人であることを思い出し、内心おそるおそる換算を頼む。数学の得意なブライアンは、即座に5ドル30セントと換算してくれるが、予想外の格安さに、彼女は計算間違いではないかと半信半疑しながら、ますますご機嫌になって、早速、6ドルと謝礼の手紙をマークス社に送る。

これを端緒にヘレーンは、かねがね読みたいと思っていたイギリスの名著について、次々とマークス社に注文書簡を送り、また、時には送られてきた書籍の不出来に対して持ち前の毒舌とユーモア溢れる手紙を書く。これに対してフランク・ドエルは、彼女のために本を探し、その都度、誠意溢れた返信を送り、彼女の意を汲んだ書籍を届ける・・・。

こうして、古書の受発注を媒介にした二人の手紙のやり取りは、以後20年にわたって続く。その間、ヘレーンとフランクは海を隔てたまま一度として会うことはないのだが、互いに敬愛と信頼を深め、心の交流へと発展していく。やがてそれは、二人の周囲の人々にも及んでいき・・・と。
『チャーリング・クロス街84番地』は、まさに海を隔てた男女の、書物をめぐる20年の書簡文通を描いた、知的で味わい深い大人の映画で、読書人には特におすすめだ。

書物を愛し、書を読むことこそ人生の愉しみという、そんな佳き人々が共感することばとユーモア、そして、俳優たちの想像力豊かな人物造形に加え、同時代のニューヨークとロンドンとの、二つの舞台の異なる空気と表情をディティールまでさりげなく描き分けて、しかも同時進行で観せる見事な映像演出、それを表現するカメラワークや美術、照明の質の高さ。文句のつけどころがない好い映画なのだ。

日本では劇場未公開だった

この映画、日本では劇場未公開だった。つまり、日本の外国映画配給会社はどこも買い付けなかったということだ。製作当時の日本はバブル景気の真っ只中だったことを思い起こせば、頷けないこともないが、往時の日本の映画興行屋たちの見識の低さとマーケティング力の無さこそ、その要因だろうと思う。

というのは、この映画は実話に基づいていて、原作は1970年、へレーン・ハンフ女史の編著で刊行された書簡集『84,Charing Cross Road』だからである。英米では、出版された直後から大きな反響をよび、ロンドン、そしてブロードウェイで舞台化され、テレビドラマにも翻案された。現在でもよく知られている原作である。日本でも『チャリング・クロス街84番地-書物を愛する人のための本』として、1972年に“リーダイ”こと、日本リーダース・ダイジェスト社(当時)から翻訳出版されて話題になった。このリーダイ版は数年で絶版になったようだが、1980年には講談社から復刊され、さらに、1984年には旧中央公論社が文庫化している。

中公文庫版の原作本

中公文庫版の原作本

版元は変転しながらも、映画が製作本国で公開されるまでに日本でも10年以上再版されているのは、出版社として殊勝な志があったからではなく。この書を求める読者がそれだけいて、読み継がれてきたからに他ならない。その読者たちは映画の潜在的観客となり得たはずで、当時日本で劇場公開してもそれなりの集客はできたはずと思うのだ。

今日ではリーダイ版、講談社版とも、それこそ“古書”でしか求められないが、、中公文庫版は読売の中央公論新社にも引き継がれたようで、2010年4月には第10刷の新本が出されていて、アマゾンなどでも入手できる。(ただし、2012年5月時の中央公論新社のデータベースでは、検索してもヒットしないので、多分、中公文庫版も在庫限りで絶版になるのだろう。)

ちなみに、日本語訳は初出から江藤淳。戦後日本の文芸批評や思想において一角を為したあの江藤淳が、生涯4作を手がけた翻訳の1冊がこれなのだ。
原著英文の手紙は、簡潔で美しい日本語に読みやすく書き換えられ、しかも原著にある書き手の情感やニュアンスは失われることなく、時に情景までも伝える筆力は、さすがに見事だ。ちなみに上で引用した、ヘレーン・ハンフ女史が最初にマークス社に宛てた手紙文も江藤訳による。

16年を経て、ようやく日本でもDVDリリース

DVD日本版

国内リリースされたDVD

未公開のままだった映画は、2002年になってようやく、配給元のコロムビア映画の親会社であるソニー・ピクチャーズエンターテイメントから日本向けにDVDがリリースされた。デジタルのホームビデオながら、16年越しで国内でもやっと観られるようになると、やはり、原作本のロングセラーから反響があったのだろう。その後2008年、2009年と、リニューアル・リリースされ、今ではTSUTAYAでもレンタルできる。

江藤もあとがきで解説していることだが、原作の往復書簡集は同時に、イギリス文学の第一級の読書案内でもある。また、第二次大戦が終わって数年後から20年間の英米両国の時代状況やイギリス人、アメリカ人それぞれの生活ぶりも、手紙から読み取ることができる。

映画は、そうした原作の優れた重層的な内容と往復書簡の構成を、想像力に満ちた映像で忠実に視覚化して見せる。映画オリジナルの要素を加えたり、視点を変えた脚色もしていない。そのため、書簡集を読んでいなくても、原作以上にその世界を経験できる。

20年に及ぶ書簡の往復は1968年末、フランクの突然の死で終わる。その間互いに会いたいと切望しながら、二人は遂に最後まで会うことはない。映像は当然、二人とそれぞれの生活や周囲の人々との関わりを、別々に描くことになる。
そのために、カメラクルーだけでなく、美術・照明・メイクなどのスタッフ・ユニットを、ニューヨークとロンドンとでそれぞれ別に組んでいる。ロケーション・ユニットを撮影地によってそれぞれに組む手法は珍しくはないが、それによって、ひとつの映画でありながらリズムもトーンも表情も異なる二つの映像が交流し合うように演出された映画は、めったにない。往復書簡だけで深い交流を重ねていた二人の時間と空間を、そういう手法で映像的に表現しようと企図したのだとすれば、その狙いは成功している。

重い雲が立ちこめたようなロンドンの街並み。ショーケースに品物のない店先の列に並ぶ人々。そこにフランクの姿も・・・。戦勝国でありながら、終戦直後から1950年代のイギリスの経済は疲弊し、食料・生活物資は配給制の時代が続いた。ブライアンからそうしたイギリスの社会情勢を聞いたヘレーンは、フランク宛に食肉や卵などを、折あるごとに送りつづける。

歴史を感じさせる木製家具や本棚の並ぶ、古色蒼然としたマークス社の店内。送られた食品は他の店員たちにも分配される。感激した店員たちからもヘレーンに手紙が届き、親愛と交流の輪が広がっていく。原作の書簡集にはそれらの手紙も収録されているが、映画ではそれらをエピソードとして映像化して見せる。

一方、ニューヨークではマークス社一同から御礼として送られてきた恋愛詩集に、ヘレーンは大喜びする。もちろん古書だが、新書版サイズでグリーンのクロス貼り装丁の素敵な本だ。早速読もうと、公園に出掛けるヘレーン。その陽光の明るいこと!

それは戦後史のイギリスとアメリカの対比でもある。先の請求書のポンド価をドルに換算して、意外な安さに小躍りするシーンも、そのひとつである。パクス・ブリタニカは終焉し、アメリカのもっとも幸福な時代が始まりつつあった、そういう時代の一面もこの映画は伝えているのだ。

主役の二人、ヘレーンにはアン・バンクロフト、フランクにアンソニー・ホプキンス。二人とも若い頃を演じるにはといささか薹(とう)が経っている感じが拭えないが、それぞれに魅力的な人物を創り上げ演じている。脇を固めるのも、ジュディ・デンチマーセデス・ルールといったオスカー俳優に加え、イアン・マクニースエレノア・デヴィッド、モーリス・デナム、ジャン・デ・ベア・・・と、キャリアも演技力もある個性的な俳優が手堅く演じ、どのキャラクターも印象深い映画になっている。

イギリスの名優たちに特に注目

もともとこの映画は、原作を愛読していたアン・バンクロフトが熱望し、彼女の夫で名喜劇俳優・監督のメル・ブルックスが、愛する妻のためにプロデュースしたということだ。だから、アン・バンクロフトのヘレーンもなかなか好いのは当然だが、個人的にはアンソニー・ホプキンスとジュディ・デンチの静かで硬質な演技に注目したい。

アンソニー・ホプキンスは『羊たちの沈黙』(1991年)のハンニバル・レクターで、ジュディ・デンチは『恋におちたシェークスピア』(1998年)のエリザベス女王(1世)や『ゴールデンアイ』(1995年)以降の007シリーズのM(ジェームズ・ボンドの上司)で、どちらもコワモテのイメージが強い。しかし、本作ではそうした定番を裏切り、誠実温厚な英国紳士とその妻を、二人して演じていて、しかもその役作りは質が高い。

近年ハリウッド映画では、実話を基にした映画に出演する俳優には、役のリアリティーにこだわり、モデルとなっている人物の特徴やしぐさ・表情、生活ぶりまでを詳細にリサーチして役作りする傾向が多くなってきているらしい。ロバート・デ・ニーロなどはその代表格で、演じる人物の実像に徹底して似せる彼の役作りは「デニーロ・アプローチ」とも呼ばれている。

その「デニーロ・アプローチ」に対して、「馬鹿げている」と痛烈に批判したのがアンソニー・ホプキンスだ。彼は「私にとって台本(脚本)がすべてだ。セリフを理解し、それを演技する。それが私の哲学だ」と発言している。

人物を演じるとは”その役を生きること”だと言う。「デニーロ・アプローチ」はそのためのプラグマチックな方法と思える。だが、「台本がすべて」だというホプキンスの”哲学”のほうがシンプルで、原理的で、潔さをを感じる。

“その役を生きる”とは、モデルの人物を模写して再現することではもちろんないはずで、俳優自身が、台本に書かれている言葉と登場人物の振るまいを媒介に、自らの想像力によってその人物をリアルな存在にかたちづくることが王道だ。

だから、アーチストとしての俳優であるホプキンスが、自らの想像力によって造形したフランク・ドエルという人物像は、モデルとなった実在の人物とは似ていないかも知れない。
だが、俳優が生きるのは、かつてマークス社にいたフランク・ドエルその人の写し絵ではなく、『チャーリング・クロス街84番地』という映画の中の世界にいるフランク・ドエルという人物なのだ。

そうすることによって、ホプキンスが演じる役は、彼の想像力が創り出した、しかし実在的な人物そのものとなる。観客の想像力もそれに刺激され、反応なり感動が生まれるのだ。実在したフランクの在りし日を再現することが、俳優の任なのではない。

俳優が役作りのためのリサーチをすることが悪いとは思わない。役や物語の世界観にヒントを得るために必要なことでもある。しかし、デニーロ・アプローチは行き過ぎれば、俳優・観客双方の想像力を退行させ、単なるスペクタクル=見世物を表出させるだけだ。

ジュディ・デンチの演技も、彼女自身は特に発言していないが、アプローチはホプキンスと同じように思う。彼女が演じているフランクの妻・ノーラは、原作と照らすとデンチでは重厚すぎる感じがしないでもない。しかし、ホプキンスとの、会話の少ない夫婦の、お互いに相手の表情を伺いながら、互いの距離を計り合いながら相手を気遣っているといった、微妙で繊細な掛け合いで見応えがある。

後日談として、フランクの死後、やっと念願のロンドン行きを果たしたヘレーンがノーラを訪ねて語り合う、アン・バンクロフトとの差しのシーンも心を打つ。それは、上述の夫婦生活でノーラが抱えていた、ある種の「心の暗部」を打ち明ける場面でもある。

「あけすけに申し上げて失礼ですが、ときにはあなたに嫉妬することもありました。主人があなたからのお手紙をたいそう楽しみにしていましたので・・・。それに、ユーモアのセンスも主人といっしょのところがあったようで・・・」と。

このノーラの告白は、原作の書簡集ではヘレーンからの弔状にノーラが返信した書簡として収められている。
ただ、この部分を捉えて、本作の書簡集や映画を「プラトニックな珠玉のラブストーリー」と評する向きがあるが、はっきり言ってその見方は底の浅いロマンチシズムでしかない。(困ったことにDVDの発売元までが、そんな陳腐な内容紹介をしているのだから、まことに程度が悪い。)

ここでノーラが打ち明けているのは、ある種の「心の暗部」であり、それをヘレーンに伝えることで、翻ってフランクもまた、満たされない「心の暗部」を抱えていたことを読者なり観客に想像させる。ホプキンスとデンチの夫婦生活のシーンはそれを示唆するように、二人して演技を組み立てているのだ。

だが、フランクの抱える暗部がヘレーンとの書物をめぐる交流によって満たされるところがあったとしても、それは「プラトニック・ラブ」などという短絡的なものではない。もっと知的で、プロの古書バイヤーとしての満足感につながるものだったはずである。妻や家族に向ける愛情や親愛とは別の、敬意と共感、そして書物への愛情と信頼が、フランクとヘレーンをつないでいたのである。

アンソニー・ホプキンスは『羊たちの沈黙』での役作りについてインタビューを受けた際に、こんなことを言っている。たぶん、これが彼の役作りの本質だろう。
「・・・私は(演じる人物の)精神の暗部に惹かれる。人間のもっとも創造的な部分だからだ。精神の暗部を否定すれば、人生はつまらなくなる。・・・」と。たぶん、彼の役作りの本質を語っている
アンソニー・ホプキンスとジュディ・デンチ。二人の演技、役作りの共通項は何だろう。
仮説的に言えば、ハリウッド映画の演技ではないということだ。二人とも、イギリスの伝統的演劇学校でスタンダードな俳優教育を受け、舞台俳優として長いキャリアを重ねている。「台本がすべて」というホプキンスの哲学は、イギリスでも日本でも、舞台俳優を志す者が最初に叩き込まれる修行の鉄則であり、演劇的想像力を磨く唯一のアプローチでもある。二人の演技力は、まぎれもなくそうした鍛錬の賜物なのだと思うが、的外れだろうか。
修行と鍛錬の結果として、二人はともに、英王室からナイトの称号(男性は「Sir:サー」、女性は「Dame::デイム」)を叙任されている。

なお、翻訳原作本で江藤淳があえてカットした後日談が、上記の通り映画には織り込まれている。だが、率直に言ってそこは冗漫な蛇足だという気がする。この映画のマイナス点は唯一この後日談のエピソードで、江藤の判断こそ正しいと思う。

「読んでから観るか、観てから読むか」という広告コピーがかつてあったが、どちらが先にせよ、インターネット万能時代にも手紙の力を見失わないようにするために、DVD+文庫本でも2千円しないのだから、『チャ-リング・クロス街84番地』は、手元に置いて観ておかれたいし、読んでおかれたい。