海野 清

『山口源の世界』

「本日休館」(2012年冬号)第20号をお届けします。えエ~、もう20号!

昨年(平成23年)11月27日、静岡県島田市にある島田市博物館分館にて開催されていた「山口源の世界」に行ってきました。山口源という版画家に関してはなんの知識もなく、以前、古本屋で「山口源 生誕100年回顧展」(静岡県立美術館)の図録の表紙しか見たことがありませんでした。今回、この展覧会があることを掛川市の道の駅にあった一枚のチラシで知りました。観覧料300円という安さがなんといっても魅力。また、この日は静岡県立美術館学芸員・泰井良氏の『山口源の作品について』というタイトルの講演が午後1時半から博物館工作室であり、ふと「行ってこようかな」と思い立ったのです。

初めての場所でしたが、地図をたよりに午前11時過ぎには駐車場に到着、早速チケットを購入。明治時代の古建築住宅を生かして展示室とした「海野光弘版画記念館」を一通り眺め、その裏にある分館に入りました。狭くて薄暗くなあというのが最初の印象です。

作品は21点、その他、版木や下絵などが展示されていました。作品を評する事などできませんので、いつものように、「この中で一番欲しい物はどれか……」を考えながら見ていくことにしました。歩きだしてすぐ、『石垣苺』という作品の前で、そんな考えがどこかへ行ってしまいました。その「瑞々しさ」に驚きました。今から70年前の1942年の作品です。この版画家は「ものすごい人」じゃあないか、抽象版画『太陰暦B』という作品に日本的な色彩を感じた時、そのように思いました。

会場を2周半して最後に『石垣苺』を見て会場から出ました。チケット購入して分館を出るまで入場者は私一人でした。

「とんでもない版画家」かも知れない、山口源という人の心象風景に興味を持ちました。

午後の講演会には30人以上の人が参加していました。参加者に年配者が多かったのは、この講演が「平成23年度島田市博物館講座」として企画されていたせいだったようです。

泰井良氏の講演『山口源の作品について』は「とんでもない版画家」かもしれないという思いで、ワクワクした私の気分を鎮めるものではありませんでしたが、いただいたテキストは山口源という人を知るキーワードでいっぱいでした。「版画」「版画家」の歴史、年譜にそって山口源という人の解説が主な内容でした。

講演終了後、場所を「博物館分館」に変え作品鑑賞会となりました。今度は参加者の皆さんと一緒にふたたび作品を見ることになりました。博物館の担当者が作品にカメラを向けて撮影し始めたので、私もバッグからカメラ取りだして撮影させていただきましたが、上手く撮れませんでした。木片・落ち葉・ひもなど身のまわりにあるものを版木の代わりに使ったこと、展示されている下絵・版木を見ながら制作過程などの解説を受けました。昭和33年4月、第5回ルガノ国際版画ビエンナーレ展でグランプリを受賞した『能役者』という作品も展示されていましたが、その前後から抽象的な作品が主体となってきたようです。これまで木片(『能役者』は板目が人の顔のように見える)を版木として使った版画など見たこともありませんでした。

いただいたテキストに「民族の必然的露出、特定のモデルはない。私の私だけのイメージにすぎません。イメージが作家の側に発酵しつつあるとも、その外部の世界に“材料”を発見し、その両者の交合によって作品が結晶していく」という山口源の言葉が紹介されていましたが、あらためて見た『太陰暦B』という作品の色は、やはり、とても「日本的」というか、「日本」を感じさせるものでした。

山口源は1896年10月、静岡県富士市生れ、1976年7月逝去。その青春期は謎に包まれた部分が多くあるようです。1998年1月~2月、静岡県立美術館にて「富士に生まれ沼津に没した抽象木版画の開拓者・山口源/生誕100年回顧展」という展覧会が開催されました。また、1993年3月『能役者-孤高の版画家山口源の生涯』という書籍が発行されています。著者は当時「山口源の会」会長・外三千介(そで みちすけ)。

島田市まで足を延ばして良かった……新しい発見ができて良かった……山口源ってどんな人なんだろう……帰路、まだまだ知らない作家・画家はたくさんいるなあと考えつつ、洲之内徹『人魚を見た人(耳の鳴る音)』に書かれていた言葉を思い出しました。

「……博物館を追出されて夕暮の猿沢の池のほとりを歩いて来ながら、私はふと、人間は何も分らずに死んでしまうんだなあと思った。人間といってもつまり私のことだが、そう思って眺める水の涸れた池の眺めは淋しい眺めであった。」

次回は4月末の更新予定です。ではそれまでごきげんよう。