檜山 東樹

『東京物語』のリメイクと「絆」をめぐって

「絆」は今・・・
“寅さん”こと『男はつらいよ』シリーズ の山田洋次監督が『東京物語』 (1953年;松竹)の現代版リメイク映画を新作するという。

『東京物語』は小津安二郎監督による極めて完成度の高い映画だ。日本的美意識を通底した、いわゆる「小津調」のホームドラマ(家族映画)の代表作として、世界的に知られている。老夫婦と成長してそれぞれ別の生活を営む子どもたちとの間の、家族のありようやつながり、その揺らぎを、静かに描いている。製作から60年に及ぶ昨年、劣化の進むフィルムのデジタルリマスター修復がされ、そのDVDも新たにリリースされた。

ところで、『東京物語』は「家族のありようやつながり」そして「その揺らぎ」の映画だと記したが、昨年の大震災・原発事故以降の日本では、今、「絆」が大はやりである。新語・流行語大賞の次点になり、当年の象徴漢字としても清水の舞台で大書された。

今や「絆」が日本中に遍在して溢れているかの如き感があるが、この「絆」なるものは、そもそもが親子・血縁家族の間の断ちがたい結びつきや、離れるには忍びない情実的つながりを表すことばで、『東京物語』の主題にも通じている。

一般に「親子の絆」「夫婦の絆」とは言うが、「友だちの絆」「恋人の絆」とはまず言わないし、「仲間の絆」というのもちょっと違う。つまり、多くは「家族のありようやつながり」の根幹に張り付いているのが「絆」で、およそ日常で正面切って口にするには衒いと覚悟のいる、ディープで重たく、時に鬱陶しく、厄介な、そんな心的つながりが「絆」の実相だ。

いま日々耳にする「絆」は、困難の中にある彼の地、彼の人たちに想いを馳せ、つながり合うイメージ語・記号として多くの人の心情をとらえているのだろうし、その真心に水を差すつもりはないが、「仁」や「義」による結びつき(被災者や被災地への支援やボランティア行為を通した結びつきはそれだ。)と「絆」とは別のものであることは申しておきたい。まして、昨今目立つ客寄せ目的の商品広告コピーやワイドショーのヘッドラインへの誤用・悪用は、記号イメージとは言え原義を離れて胡散臭さく、次第に「絆」が目障り耳障りにもなってくる。

というわけで、今回は「家族のつながり」や「親子の絆」のありようをめぐって、『東京物語』とそのリメイクと思われるアメリカ映画を観ることにした。

『東京物語』の一般的理解

『東京物語』は、尾道に暮らす老夫婦が、成長してそれぞれに家庭を持って暮らしている子どもたちに会うために上京するが、戦死した次男の嫁以外、実の息子や娘からは迷惑がられ、寂しさや失望、「絆」の喪失などを感じて帰ってくる。帰郷後、旅の途中から体調を崩していた老妻が亡くなり、その葬儀を通して再び家族のありようが照射され、やがて、次男の嫁の意外な心情が明らかにされる・・・、というのが大筋のストーリー。
それが、ローアングルから据え置き長回しで撮り重ねられた、プリミティブな構図に形式化した審美的カットと厳密な編集で、淡々と描かれる。その独特の映像は、たとえば能に見出されるような日本の伝統的様式美の世界観に通じる表現として、内外の高い評価が定まっている。

確かに、静謐な世界にスローな美しい旋律が奏でられように物語が進むのが、『東京物語』に限らない戦後の小津安二郎の、家族を描いた一連の作品で、いずれもぼんやりと観ていたら単調で眠くなってしまうような映画である。
笠智衆や原節子ら役者たちの演技もその映像世界の基調旋律を外すことはない。登場人物に大きな動きをさせず、過剰な情動表現も許さない。泡立つことのない流れのような家族の物語が、あたかも精緻で美しい風景画のように展開していく。

そこには日本の伝統的な家庭の日常や家族のありようが、あるいは家族間の思いの襞や絆のすがたなどが、ひじょうに冷徹な目で掬い上げられ、細やかにエピソード化して叙述される。
観る人は多くが、そこに登場する家庭や家族を自らのそれに重ねて共感し、エピソードに感情移入して涙するだろう。そして、美しい映像と健気でおだやかな登場人物たちに、人生の哀歓やカタルシスを覚えるだろう。

だから、『東京物語』についても「家族のつながりと、その喪失という主題を観る者の心に訴えかける作品」という批評(『SIGHT AND SOUND』2002年版 CRITICS’ TOP TEN POLL)や理解が一般的であるし、その象徴がラストシーンについてのものだ。
『東京物語』のラストシーンはこうだ。
妻の葬儀が終わると子どもたちは、自分の欲しい母の遺品をさっさと物色して形見分けし、早々と帰っていってしまう。最後まで残った次男の嫁・紀子(原節子)に主人公周吉(笠智衆)は礼を言い、そして別れ際に彼女に再婚を勧める。すると「私、ずるいんです。」と言って彼女は、戦死した夫に今も抱き続けている想いの一方で、戦争未亡人としてこの先も独り身で過ごすことへの不安に苦悩する胸の内を吐露する。

紀子の孤独感をはじめて知った周吉は、子どもたちが残していった妻の形見の時計を紀子に渡す。 紀子に渡した時計が生前の妻に周吉が贈ったものであることは言うまでもないが、以上のシーンへの解説は概ね次のようにされている。
「愛する者に先立たれた喪失感を共有できる存在は、血のつながった家族ではなく、嫁の紀子だけだった・・・」と。

もちろん「喪失感」には子どもたち家族との「絆」も含まれているし、二人の「孤独」とも通じている。だが、そうだろうか。
上記のような批評や一般的な解説がけっして間違っているとは思わない。映画での老夫婦は子どもたちの間の「家族のつながり」に失望を覚えているし、「絆」の喪失を感じていて、そこには老いの孤独や人生の哀愁をも感じさせる。

だが、それだけでこの映画を読み解くのは、伝統美を追求した独特の映像による基調旋律に乗せられて、同期し過ぎていているように思えてならない。『東京物語』は、実は「喪失」や「孤独」「哀愁」といったネガティブなことばで語られるばかりの「ほろ苦いホームドラマ」ではなく、そこから人間はどう生きるかというメッセージが、まちがいなく込められている映画だと思うのである。

『東京物語』に込められたメッセージと本来の主題

「小津調」のように淡々として動きの少ない映像でシーンが展開するドラマでは、必然的にシチュエーションごとの登場人物の会話が重要になる。『東京物語』もそうだ。
だが、その会話も決して饒舌ではないのが「小津調」で、抑制的な演技と、ゆったりした空気感の演出に気を抜かれていると、台詞に織り込まれた映画のメッセージを聞き流してしまう。そこで、以下、映画のシーンを辿りながら、織り込まれたメッセージについて、一つの仮説として記す。

上京した老夫婦、周吉(笠智衆)ととみ(東山千栄子)を、医院を開業する長男・幸一(山村聰)が自分の家に迎える。同じ区内で美容院を営む長女の志げ(杉村春子)もやって来る。そして、戦死した次男の嫁・紀子(原節子)も遅れて駆けつける。しばし、和やかな親子の再会に思えるのだが・・・・。

老夫婦はその日は幸一の家に泊まるが、翌日になると幸一も妻(三宅邦子)も忙しそうで、孫も祖父母に対して素っ気ない。そんな長男家族の様子に、にこやかに対応しながらも気兼ねした二人は、今度は志げの店に向かう。だが、やはり忙しげな上に家は狭く、二人を泊めるために志げ夫婦は店に面した茶の間に寝具を移すほどで、どこか迷惑そう。
翌日、周吉は、昔なじみの友人と会う約束で、「遅くなるからどこかに泊まる」と言って出かけていく。所在なげに一人残った母親のとみを、志げは紀子に押しつけ、東京見物に行かせる。自分たちを厄介者扱いする息子や娘と違い、献身的に銀座を案内してくれる紀子の優しさにやっと緊張の解けたとみは、その日彼女の一間のアパートに泊めてもらう。
その頃、昔なじみの沼田(東野英治郎)と酒席にあった周吉は・・・という件(くだり)で、次のような会話が交わされる。

周吉 「「しかしなあ、ワシも今度出て来るまで、もちいっと倅がどうにかなっとると思うとりました。ところがあんた、場末の小(こん)まい町医者でさ。あんたの言うようにわしも不満じゃ。じゃがのう、こりゃ世の中の親っちうもんの欲じゃ。欲張ったら切りがない。こら諦めにゃならん、とそうワシは思うたんじゃ。」
沼田 「思うたか!」
周吉 「思うた。」
沼田 「そうか。あんたもなあ。」
周吉 「・・・・まあええと思わにゃならんじゃろ。」
沼田 「そうじゃのう。今時の若いもんの中には平気で親殺す奴もおるんじゃから、それにくらべりゃなんぼかマシな方か」

親、とりわけ父親は、大概が息子には特に期待する。期待が励みとなって一所懸命に働き、子を養育し、独り立ちするまで多大な援助もする。その必要がなくなってからも、一廉の地位や生活を得ることを願い、かつ期待もする。それは娘に対しても基本的には同様で、幸福な人生が送れるように願い期待する。生命体としての誕生から十月十日を紐帯で結ばれている母親と違って、父親にとっての親子の「絆」とは、このような期待と表裏のものなのかも知れない。
だが、そういう期待は裏切られるのが多くの常だ。往々にして子は、今の自分の生活を維持するのに精一杯で、何より自分や自分の家庭が大事なのだ。親を気遣い、その心の内を忖度する余裕も想像力もない。そうなると、期待によって媒介されていた「絆」にも揺らぎが生じてくる。

「欲張ったら切りがない。こら諦めにゃならん・・・」という台詞は、そういう「絆」に執着してきた父親周吉の本音の吐露であり、親子・家族の結びつきへの葛藤でもある。それまで、息子や娘の面前ではそんな素振りの表情一つ見せなかった彼の内面に、映画を観ている者はここではじめて行き当たり、少なからず驚く。

だが、「家族のつながり」や「絆」とは、いっぽうで「しがらみ」でもあり、そこに執着すれば、人間としての自由の枷ともなる。このシーンでの周吉のように、諦めをもって折り合いをつけるとしても枷から自由になるわけではない。あくまで、諦めるだけであって、不満や忸怩たる思いは消えない。そんな思いを抱えたままで老いの日々を生きていくとしたら、人は何とも寂しいし、未練を残す。

映画ではこの後別のシーンで、同じような台詞の会話シーンが出てくる。
帰路、途中で老妻とみの具合が悪くなり大阪で下車した二人は、国鉄(現JR)に勤める三男の敬三(大阪志郎)の下宿で休む。敬三は夜勤で不在。味気ない線路際の部屋での老夫婦の会話。

周吉 「欲言やあきりがないが、まあええ方じゃよ。」
とみ 「ええ方ですとも。よっぽどええ方でさ。私ら幸せでさ。」
周吉 「そうじゃのう。まあ幸せな方じゃのう。」
とみ 「そうでさ。幸せな方でさ。」

このシーンに涙する人は多いらしい。成長した子どもたちに会うのを楽しみに出かけた旅なのに、満足には遇されず寂しい想いをしながらも、それでもよしとする老夫婦の健気さに感動し、人生の哀歓をしみじみ感じるということなのだろう。それはよく分かるし、それでもよい。
だが、先の沼田との会話とここの夫婦の会話では、同じようなことばでありながら、台詞が表現している意味内容、すなわち周吉の心持ちは大きく違っている。思うに、このシーンの台詞、「欲言やあきりがないが、まあええ方じゃよ。」こそが、この映画に小津が込めたメッセージなのではないか。

どう違うのかは、このシーンに至る流れを承知しておかないと分かりにくいと思うので、概略する。

前出の沼田とのシーンの後、酩酊した周吉は警官の世話になって、長女・志げの家に戻ってくる。またしても、容赦ない志げの顰蹙を買うことはもちろんだが、それでも、「しょうがないわね。」と何度も文句を言いながら、昨夜は自分たちが寝た店に面した部屋に床を敷き、酔った父を休ませる。これもよくある、日常的な父娘のすがたであり、家族のありようでもある。
もっとも、そんな志げも翌日になると兄の幸一と図り、温泉でゆっくりしてと、老夫婦を体よく熱海へと追い払う。だが、志げが取ってくれた宿は、宴会客中心の安宿で騒々しく、ここでも二人は落ち着けない。

喧噪を逃れて海辺に出た老夫婦が帰郷を決意するシーンは、絵画的な熱海の海岸がひどく寂しげに映り、短く少ない台詞による会話が、期待と表裏の「絆」が喪失していくのを、映像の基調を外れることなく淡々と観せる。

だが、このままでは失意の帰郷である。老夫婦にとっての『東京物語』は、子どもたちへの失望や家族の心のすれ違いというありふれたホームドラマ、ほろ苦い旅のエピソードになってしまう。
だが、どっこいそうではないのだ。三男の下宿での二人の会話は、これらその前のエピソードを踏まえての、起承転結で言えば、「転」に当たるシーンなのだ。そして、ここでの会話が、ラストシーンでの嫁・紀子の告白と、時計の形見分けの伏線にもなっている。

三男の下宿で周吉が言う「欲言やあきりがないが、まあええ方じゃよ。」という台詞は、沼田とのシーンでの「・・・諦めにゃならん・・・」とか「・・・ええと思わにゃならん・・・」という、謂わば「期待」としての「絆」や、断ちがたい「家族のつながり」に執着を残したものではない。そうした「しがらみ」から解かれ、父親としてでもなく、親子家族としてでもなく、一人の人間として、自分の人生を肯定的に見つめ、これからの日々を自由に生きようとしている、そんな周吉の心持ちを示している台詞だと思うのだ。
言うなれば、東京で経験した失望や喪失感からの、自分に向けた再生のメッセージであり、妻への自信なげな表明である。それが「欲言やあきりがないが、まあええ方じゃよ。」ということばであり、ここに『東京物語という』映画に込められた小津のメッセージがあり、本来の主題があると思う。

「まあええ方じゃ」とすることで周吉は、子どもたちに求めていた「家族」や「絆」から自由になったのである。そして、妻の「よっぽどええ方でさ。私ら幸せでさ。」という積極的な同意に励まされ、「そうじゃのう。・・・」と応じる周吉には、わずかながら、ホッとした表情と明るさも感じられる。そこに、失意から再生する人間の強さが映るのは、当方の老眼乱視によるものだろうか。

「絆」が喧しい昨今だが、家族のそれは一方で「しがらみ」でもある。それに拘泥すると人生に悔いを多くすることもある。離れがたく、断つには忍びないのが「絆」だが、人間として自由であるためには、あえてそれに距離を取る心やそこから旅立つ用意も、また必要なのだと思う。そうしたからと言って失われるものでもないのが、真に「絆」というもののはずだ。ラストシーンの形見の時計は、そういう「絆」を示しているのではないだろうか。

デジタルリマスター修復もされたことだし、『東京物語』を今一度観てみると、また別の発見やメッセージに出会うかもしれない。

『東京物語』のリメイクと言われるアメリカン・ロードムービー

ところで、よく知られていることだが、『東京物語』はロードムービーの嚆矢でもある。
ロードムービーとは旅する映画。行き先や目的はあるものの、観光や旅程のない旅。となれば、旅路での出会いや出来事、変化する風景などが、一期一会の忘れがたい経験となり、思考と想像力の刺激となるのは現実に即してもリアリティがあり、それらをドラマツルギーとする映画がロードムービーだ。

1960~70年代には一種のトレンドのようにロードムービーが多くつくられた。火付けとなったのは言うまでもなく、デニス・ホッパーの『イージー・ライダー』(1969年)だが、日本では山田洋次の『家族』(1970年)、『幸福の黄色いハンカチ』(1977年)がある。山田こそは日本屈指のロードムービーの名手でもあり、その点でも彼は『東京物語』のリメイカーとして正統性があると言える。

そうしたロードムービーが盛んだった頃のアメリカ映画に、『東京物語』のリメイクと思われる作品がある。『ハリーとトント』(1974年;20世紀フォックス)だ。

「・・・と思われる」というのは、リメイクなどの著作物の2次的使用権に関する国際的な取り決めが定まるようになるのは1980年代に入ってからのことなので、この作品の製作当時には、リメイクもパクリも制約はなかったはずで、クレジットにもそうしたことを示唆する表記はないからだ。

だが、『ハリーとトント』が『東京物語』を下敷きにしているといった、ハリウッド筋の比較的信頼できる解説テキストがネット上にもあるので、たぶん事実だろう。
いずれにしろ、リメイクやアダプテーションされるということは、その作品世界が優れて普遍性があり、映像的にもドラマとしてもクリエイティブな想像力を刺激するパースペクティブやテーマ的な深さを持っているということの裏返しでもある。だから、法的規制のない時代の本歌取りだとしても目くじらを立てることでもなく、個別の作品として評価すべきだろうと思う。

ということで『ハリーとトント』だが、これはオススメできる傑作だ。1970年代のアメリカ映画を語る上で外せない一作と言う識者も多い。にもかかわらず、DVDリリースされたのは、つい最近の2009年である。

現代が舞台、と言っても40年近く前の製作だから、ベトナム戦争に負け、その後のオイルショックで不景気の中にあったアメリカである。が、当時の風景・風俗はとにかく、作品的な鮮度は今観ても何ら時代的違和感を感じさせない。高齢社会の現代日本には、1950年代の『東京物語』よりもむしろスンナリと通じるよう老人のすがたが冒頭から描かれる。

成長して別々の場所で生活を営む子どもたちと会うために主人公の老人ハリーが旅に出る、という設定は、まさに『東京物語』である。だが、彼には妻がいない。4年前に他界している。代わって、ハリーの旅の道連れは愛猫のトントである。

トントは11歳のオスの老猫。愛妻アニーに先立たれた後のハリーにとって、いつも一緒に過ごし、何でも話せる大切な家族。彼らはニューヨーク・マンハッタンのアパートに住んでいる。そこは高校教師を勤めながらアニーと家庭を築き、子どもたちを育て、やがて子どもたちを巣立たせ、そして、定年退職した後には妻を看取った場所だ。70歳を過ぎたハリーにとって、自分の半生と家族との思い出が満ち満ちた場所。そこが市の区画整理で取り壊されることになる。

他の住民が皆引っ越した後も、頑固なハリーは去り難く、トントとともに最後まで居座るが、建物の解体当日、とうとう強制退去させられてしまう。
駆けつけた長男バートに引き取られ、彼の家に住むことになったハリーだが、必ずしも居心地は良くない。何よりバートの妻、つまり嫁との間で互いに気兼ねし合ってうまくいかない。近くにアパートを借りようとするが、トントが一緒であることから断られてしまう。

それでも、自分が同居することによって長男夫婦や家庭がギクシャクすることを気遣ったハリーは、シカゴで小さな書店を経営している娘・シャーリーのもとへ行くことにする。
「今はここがお父さんの家だ」と言う長男には、「しばらく行ってくるだけだよ」というが、もちろんハリーには、戻ってくるつもりはない。こうして、ハリーとトントの旅が始まる。

その後の『東京物語』として

妻に先立たれた老年の男親となると、これは『東京物語』」の「その後」の物語であるかも知れない。

というのも、始めは独身の娘シャーリーを頼るつもりでシカゴに向かうハリーだが、持ち前の頑固さからトントをめぐってトラブルがつづく。バートが取ってくれた航空便をキャンセルし、代わりに乗った長距離バスも途中で降り、免許更新切れにもかかわらず中古車を買って一路シカゴへ・・・、と思いきや、旅路の途上の出会いを重ねるうちに、寄り道・回り道を重ねていく。
のんびりハンドルを握りながら、はじめはトントに、やがて途中で拾ったヒッチハイカーの家出娘に、自分のこれまでの人生を語り振り返るうちに、子どもを頼って暮らそうとしている今の自分に疑いを感じ始める。

子細は観てのお楽しみというところだが、結論として彼は、家族と身近でつながって暮らすことはせず、たとえ寂しさくとも、孤独であっても、それを受け入れて生きていこうと思うようになっていく。観ているうちに、時代も文化も背景も経緯も違うが、『東京物語』の帰郷後の、さらには妻を見送った後の周吉も、たぶん同じであろうなと思ってしまう。

だが、この『ハリーとトント』では、逆に子どもたちの方が父親との「絆」に想いが強いようだ。ただし、それぞれの想いは三人三様で、少し複雑だが・・・。
長男は前述の通りだ。妻と父の間がしっくりいかないことを承知していながら、息子の義務として父との同居を望む。それは、彼がずっと父の期待に応えるようにして生きてきたからに他ならない。いっぽう、ロサンゼルスに住む次男は不動産事業に失敗していて、末っ子よろしく老父をアテにして一緒に暮らそうと懇願する。そして、実は父に反発があって、母の葬儀以来会うこともなかった娘のシャーリーさえも・・・。

ようやくシカゴに辿り着いたハリーとトント。家出娘のジンジャーも一緒だ。店に入ってきたハリーに、娘はまともに顔を合わせないし、挨拶するのはトントに向かってだ。「誰と来たの、トント!」と。相剋めいた父娘の感情に付き合わされるトントこそ迷惑だが・・・。

「家族の絆」と、自明な了解事項のように軽く言う人がいるが、そこには共通遺伝子によって性格・行動も相似形で、それ故に互いのつながりを断ちがたく思いながら、近づきすぎると反発し合ったり、理解せずとも許容しようとする気持ちと、その裏腹にすべてを受け入れるには感情が捻れたりもする。それが家族というものだし、「絆」というものの一面だ。

そういう幾重にも重なった父への愛憎と家族への想いを、シャーリーがはじめてハリー吐露するミシガン湖畔のシーン。全編116分の映像中15分程度で、二人の掛け合いはここだけだが、この映画における家族のドラマの核であり、見どころだ。

ハリーがどんな父であったのか、どんな夫であったのか、そして彼らがどんな家族であったのか。ここへ来る旅路においてハリー自身が語る断片的な回想も、このシーンへの伏線であったのだ。
細やかで深い意味を持つ台詞が巧みに編まれ、父娘それぞれが抱く情実のありよう、すなわち「絆」の実相が、実に見事に浮き彫りされる。優れたシナリオに感心するが、それを余すところなく表現して演じてみせる俳優の技量と想像力も素晴らしい。

ハリーを演じているのは、この作品が映画初出演のコメディアン、アート・カーニー(2003年没)。彼は、本作で第47回アカデミーと同年のゴールデングローブの主演男優賞を受賞した。一方、シャーリー役は、『アリスの恋』(1974年)で同じくこの年のアカデミーとゴールデングローブの主演女優賞に輝いたエレン・バースティンである。そう、このシーンはオスカー俳優同士の掛け合いなのだ。素晴らしくて当然である。
ちなみに、この映画製作時のアート・カーニーは56歳で71歳のハリーを演じているが、『東京物語』で老父を演じた笠智衆も、当時58歳である。
スタッフ陣も凄いメンバーである。監督・プロデューサーは名匠といわれるポール・マザースキー。彼は天才スタンリー・キューブリック監督の幻の第1作『欲望と恐怖』(1953年)で俳優としてデビューし、その後、監督・脚本・プロデューサーもこなすようになったハリウッド映画の重鎮だ。マザースキーとともに質の高い脚本を書いたのは、芥川賞作家で画家の米谷ふみ子の夫であり、『わが子ノア 自閉症児を育てた父の手記』(文春文庫)の著者として日本でも知られているジョシュ・グリーンフェルド。そして、映像にマッチした叙情的な音楽を作曲・劇伴しているのは、この映画から2年後に『ロッキー』 (1976年)のテーマ『Gonna Fly now』でワールド・ブレークする、当時はまだ新進のビル・コンティなのだ。

コミカルな要素も多いエンターテイメント映画だが、『東京物語』のリメイクたる味わい深さは十二分に持っている。
ハリーがあえて「絆」を断ち、孤独を引き受けて生きていく旅路へと踏み出すのは、過去への反省でも未来への希望でもない。自らの老いの先に遠からず迎える死を見据えているからである。そのことを想像させる映像が所々に、しかし、さりげなく織り込まれる。死別した妻への、愛していたが十分に幸せにしてはやれなかったかも知れないという苦々しさ、孤独死した友人に重なる自らの無常、そして旅の途上で逝ってしまったトントへの断ち得ぬ哀惜・愛惜・・・・。

逝く者を多く身近に見送った老人には、自らの死もまた常に意識し、受け入れる用意ができていく。だが、今を生きることが精一杯の子世代は、「絆」に結ばれながらも老親のその覚悟までが見えることはまずない。『ハリーとトント』が発している「その後の『東京物語』」としての暗喩がそこにあるようにも思う。