堀井 彰

美しいと感じることにおいて、不謹慎とは何を意味するのか?

篠山紀信写真展「ATOKATA」を見た。昨年の03月11日に起きた東日本大震災の被災地を、発生から50日後に篠山紀信が撮影した写真であるという。05月から08月にかけて、篠山紀信は三回、被災地に足を踏み入れているという。会場には32点の写真が展示されていた。

1枚の作品に、僥倖ともいえる体験をした。一本の松の樹が、津浪とおぼしき力で幹から横に延びていた太い枝が捻り剥がされたように、白い樹肉を晒して垂れだがっている姿を撮影したものだ。その写真の前に立ったときに、怫然と、体内から生命力が湧出するのを体感した。津波の力で無残に変態を強いられた姿であるはずだが、痛ましい、残酷、無残といった感情ではなく、生命力の息吹を体感したのである。一瞬の高揚感が立ち去った後に、一瞬の体感を言葉に翻訳してみた。そして生命力の息吹を体感したと言葉で表白した。しかし言葉で自分へ表白したことで、二度と追体感は不可能となった。それにしても規範として悲痛、無残といった感情を誘発する現場写真から生命力の熱い息吹を体感するという特異な体験をしたことをいかに納得するべきか手立てがない。

また、満天の星をいただく黎明の刻の中に佇む被災現場を撮った写真群の前に立ったときに、風景を占める群青色に染まった静寂な厳粛さを秘めた美しさに呆然と魅了されもした。

篠山紀信の写真を目にするまでに、被災地にかんする大量の映像情報をテレビ、新聞、雑誌、インターネットなどのメディアツールをかいして体験している。目を覆いたくなるほど残酷、異常でそして悲痛、無残な情景、と一般的に言葉で表現される場面が音声とともに流入してきている。

言葉として構造化された被災地映像の洪水の中へあえて踏み込んで行く篠山紀信の企図が想像できなかった。篠山の写真も言葉の浸食を受けて構造化され、安寧秩序の世界の中でマッピングされてしまうのではないかと、危惧もした。

しかし篠山紀信の写真群を目にしたときには、無残さも、痛切な思いも、手垢にまみれた情感を感じることはなかった。ただ切実に美しいと感じただけであった。大量に摺り込まれていたメディアをかいして流入してきた映像、言葉に反して、篠山紀信の作品は神々しいまでに美しく屹立していた。悲惨、無残、痛切といった言葉として構造化、記号化された映像を突破して、神々しいまでの美体験を可能にさせた力はなんだろうと、言葉で考えさせられた。悲惨でもなく、痛切な思いでもなく、恍惚とさせられた美体験の由来は? 日々、大量に流入してくる被災地の現状にかんする情報を前にして、この現状という表現にも違和を抱いている。一般的な現状というものは存在せず、個々人において現状という言葉が指示する中身は異なるのではないかと思いつつも、はたして美しいなどと表白してもいいものだろうか? と反芻を強いるものが後頭部のあたりから囁きかける。悲惨な生活を強いられている人々の存在を前にして、美しいなどという言葉を口に出来るか、と。このような恫喝に似た問いはどのような立場から発せられるものか? だが、存在することは間違い。

今年にはいって、あるラジオ番組に篠山紀信がゲスト出演していた。昨年末に出版された写真集「ATOKATA」のプロモーションのためだったようだ。番組の中の会話で、現場は美しかった、と語った後で、「こんな言葉を口するとは不謹慎との謗りを受けるのではと危惧しますが」といった主旨のことを述べていたことが印象的であった。篠山紀信においても、安寧秩序の鋳型へ価値を収斂させはめ込もうとする規範力の存在を意識せざるを得ないのかと背筋が寒くなる想いだった。

篠山紀信の写真から受けた美体験の出生を知りたくて、東日本大震災にかんする幾人かの作家の写真を目にした。それらの写真と比較すると、二つほど印象に残る特異点が感じられた。1つは、篠山紀信の写真には被災地の人間が写しこまれていないことであった。被災地に生活している人たちの姿が撮影されていない。際立った撮影態度といえる。その結果として、無情の立場ではなく、無常の立場から現場を撮影できたのではないか。写真からは悲惨、無念、痛切といった人間の情の世界を切り離し、自然の変容、変態という無常の認識を見るものに感じさせることに成功していた。だからこそ写真の世界に美の体験が可能となったのではないかと思う。写真の中に被災地の人間が写しこまれていたならば、言葉として構造化された被災地映像となり、けして見る人間を崇高ともいえる美の体験を可能にし、そして被災地の映像が言葉として構造化されることを免れ、僥倖的に新たな世界を垣間見せる写真力の自立はありえなかったと思う。