洲之内徹

「秋田義一ともう一人」

これが年を取ったということかもしれないが、この頃、私は、物を考えるということをあまりしない。何か感じても感じっぱなしで、それを考えて行くということをしないのだ。

今年の春だったか、夏だったか、夏とはいってもまだそんなに暑くならない頃、竹橋の近代美術館で《ティッセン・コレクション》の展覧会(展覧会のタイトルは別にあったと思うが思い出せない)があって、会場に入ったところからドガ、マネ、コロー、シスレー、ルノアール、ピサロ、モネ、ゴーギャン、ゴッホ、という順序(この順序にも私の思違いがあるかもしれない)で絵が並んでいたが、そのゴッホの二枚目の絵の前に立ったとき、突然、私は、

「ただ絵を売るためだけなら、何も、こんないい絵を描くことはないんだよなあ」
と、思わず口の裡で呟いてしまった。そして、この、全く以てお粗末至極な感想に自分で呆れて笑ってしまったが、しかし、すぐに、待てよ、これはだいじなテーマかもしれないぞ、よく考えてみなきゃあ、と思った。

思ったが、それから半年以上たっても、私はそのことで何も考えていない。

その前にもある。あれは確か今年に入ってからだったと思うが、小田急百貨店のギャラリーで、一九三〇年協会を中心に、日本の洋画の劇的な昂揚期のその時代を創った画家達の展覧会(その展覧会のタイトルも忘れた)があり、私の持っている海老原喜之助の「ポアソニエール」、長谷川利行の「酒祭り・花島喜世子」、林武の「星女嬢」の三点も出ていたのだが、前田寛治とか佐伯祐三とかの戦前の画家だけではなく、むしろ戦後になって舞台に上った野口弥太郎とか、鳥海青児とかも含めて、その頃のその人達には、一様に、何か怖い物の眼で絶えず自分が見られているという意識があるような気が私はした。だからこの人達の仕事はどんなに大胆で奔放であっても、一面、謙虚である。そこから生まれる節度と品位と、そして永遠の若さがある。その頃のその人達にはあったそれがいまはない。そんな気がして、その怖い眼とは何なのか、それを考えてみようとそのとき私は思ったのだったが、思っただけで、これも考えないで終っている。

最近では、九月に、旅行の帰途ふとその気になって倉敷へ寄ったとき、時間がなくて大原美術館だけ、それも本館と新館とを三十分ずつ駆足で見て廻ったが、こういう見方にも思い掛けぬ面白さがあって、特に日本人の画家のものを並べた新館では、その一人一人の画家について従来いろいろと語られている美術史家や批評家の言葉を超えたその向こうに、その画家の存在はあるのだということを、なぜだかしらないが、私は強く感じた。

なぜだかしらないが、では困る。こうしてここへ書く以上は、その、なぜについて書かなければならないが、先程から言っているように、それを考えるのが私はもう面倒なのだ。そして、そのときも、それはそのままにして、私は更に、日本人の油絵は、岸田劉生だろうと萬鉄五郎だろうと小出楢重だろうと安井曾太郎だろうと川口軌外だろうと鳥海青児だろうと松本竣介だろうとその他誰であろうと、みんな共通して、われわれ日本人のある切なさのようなもの、悲しみのようなものを底に持っている、と思った。
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