洲之内徹

「男が階段を下るとき」

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そういうわけで、ここのところはゴッホばかり見ていたが、ある朝、突然、私の眼に、ゴッホが非常に優しく見えた。その優しさは、誰それは誰それに優しいとか優しくないとかいう、そういういわば個々の優しさではなくて、もっと根源的な、いうなれば優しさそれ自体というような優しさであった。

ゴッホで私が感じる優しさを、私はどう書けばよいか分らない。だが、何も無理して書くこともないだろう。批評や鑑賞のために絵があるのではない。絵があって、言う言葉もなく見入っているときに絵は絵なのだ。誰も彼も、猫も杓子もいっぱしの批評家気取りで、何か気の利いたひと言も言わなければならないものと考えて絵を見る、そういう現代の習性は不幸だ。
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