洲之内徹

「想像力について」

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ところで、何でこんな話になってきたのか。たまたま私が「とき」という名の列車に乗ったばかりにこういうことになってきたわけだが、話がここまで来たついでに書いておくと、反核ということは、私の場合にはこうだった。昨年のあの反核・平和運動には私はどういうわけか一種の拒絶反応を起こしてしまったが、同じ昨年四月号の「芸術新潮」が桂離宮を特集したとき、石元泰博氏撮影のその写真を見ていて、私は、突然、核戦争は絶対にやってはいかんと強く思った。人類の運命などちっとも気にならないが、私は、この美しい建物が消滅するのは余りにも惜しい、そんなことは許せない、そう思ったのだ。

おかしいだろうか。だが、私の想像力の及ぶ範囲はその辺までである。私が反核を言うとすれば、自分のその位置から言う以外にない。
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はるさんにとって風景とはどういうものだろうかという話も出た。どこそこの道をどちらへ行けば川があり、橋があり、林がある、というふうに自分の躰でつなげて記憶できるものはいいとして、では遠景の山は、更にその上に拡がる空はどうなるのか。これも色の場合と同様、空というものの観念もまた、アプリオリに人間に具わっているのであろうか。ともあれ、思えば不思議なはるさんの世界だが、木下君の描いたはるさんのこの顔は、私たちには想像することのできない彼女の内部の世界を、見えないその眼を内に向けて、じっと見詰めているかのようである。

美しいものと美しくないものとが、はるさんと私たちでは同じだろうか、違うだろうか。色のことから始って、そういう話が、それからそれへと際限もなく続いたが、その中で、木下君がふと洩らしたひと言が、私の胸に応えてあとまで残った。はるさんは、来世は犬でも虫けらでも何でもいい、眼の見えるものに生まれたい、そう念じて、そのために現在を耐えて生きている、というのである。
「はるさんは本当に来世を信じているか」
私が訊くと、
「無論だとも、でなくてどうして生きて行けるか」
と、木下君は答えた。

私は昼間列車の中で考えた反核のことを思い出した。核戦争で、全人類が死滅するとしても、来世のみを願って生きているはるさんにとっては恐るるに足りないかもしれない。ここに一つの、そういう不死がある。
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