檜山 東樹

大災害と浅川マキのブルース

あの日からしばしば、浅川マキの歌を聞いている。
2011年3月11日の金曜日。そう。列島の4分の一が大震災に見舞われたとき以来。

TVを見ながら遅い昼食をとっていると、例のコール音が鳴って緊急地震速報のアラートが画面に表示された。直後、東京でも常とは異なる揺れが来て棚の上の置物が落下し始めた。思わず屋外へ飛び出したが、地面も庭木も揺れ続け、なかなか収まらない・・・。このときに、東北太平洋岸の一帯には未曾有の規模の津波が押し寄せ、やがて、またたく間に街を呑み込み、千人万人の命と生活を海の藻屑と混淆させはじめていたのだった。

その一部始終は、かろうじて難を逃れた人たちや地元メディアスタッフによってビデオ撮影されていて、TV放送で見ることができた。そこには、人々が、自利を追う思惑や欲望も、そのための努力や苦心も、また、ささやかな希望や願いさえも、一切の忖度無しに粉砕して押し流す自然エネルギーの暴威と、その運動がもたらす非情な光景が、映画のようなBGMもエフェクト音もなしに、淡々と映し出されていた。

絶望的とはこういうことかと、しばし心が立ち竦むのを感じながら、ただただ茫然として画面を眺めていたのだが、やがて居ても立ってもいられない気持ちになり、浅川マキのCDアルバム『DARKNESS Ⅰ』を取り出していた。

このアルバムは2枚組で、Disc 1には『夜が明けたら』以下14の初期歌曲が、Disc 2では山下洋輔、本多俊之、近藤等則、渋谷毅といったジャズメンとのオリジナル・セッション11曲が収録されている。

ちなみに『DARKNESS』はⅣまで続くシリーズアルバムで、CDの音質にはずっと懐疑的だったというマキが、亡くなる3年前までの10年間にわたって自ら編み、デジタル・マスタリングにも自らの意向を最大限反映させたという自選作品集だ。実際、CD化された浅川マキの中ではもっとも良い音だと思う。

マキのCDを取り出したのは、ひとつには被災地の多くが港町であったからだ。彼女の歌には港町が多く登場している。マキ自身が日本海の港町の出身だからかも知れないが、作詩も港町の歌にもっとも情感があるように思う。被災する前のそれぞれの港町へのイマジネーションを得て、被災地の人々の気持ちに近づきたかった。

だから、まずDisc 1から、あえて『にぎわい』を選曲した。
かまやつひろしの作曲になるメロディは例によって間抜けたカントリー調で、たった今見た無惨な光景とは合わないのだが、マキの歌う詩はまぎれもなくブルースで、壊滅した北の港町への挽歌のように感じられ、哀惜を誘う。

これ以外にも、『あの娘がくれたブルース』、『港町』、『裏窓』、そして、もちろん『かもめ』も、おそらくは被災地の人々が聴けば、記憶と重なるイメージがどこかに見出され、辛い現在を生き延びる慰めとなるのでは・・・と思うのだ。

次には、サッチモ・ナンバーの名曲にマキが日本語詩をつけた『セント・ジェームス病院』。
南里文雄のラストレコーディングとなった1973年神田共立講堂でのライブセッションが音源で、戦前からの昭和のジャズマンが奏でるトランペットと相俟って、乾いた嗄れ声が深い哀感を帯びてしみ込んでくる。逃れ得ず落命した多くの人たち、とりわけ若くして失われた命を思わずにはいられない。

家族を、わが子を失った哀しみを抱えながら耐えている被災者の心に寄り添えれば・・・と思う。北山修の詩になる『赤い橋』も同様だ。

そしてDisc 2からは『グッドバイ』。
音源は1982年にリリースされたアルバム(『マイ・マン』)で、ジャズ・ピアニスト板橋文夫が作曲した美しく静謐な旋律が、渋谷毅のピアノ・ソロ、つづいて本多俊之のサックス・ソロでじっくり奏でられ、ジーンと染みわたってきた後に、マキの、まさにアンダーグラウンドからわき上がってきて諭すような歌が、大惨事の光景にざわざわしていた心を空っぽにする。

連日TVでは、「頑張ろう!」とか「信じてる!」とか「大丈夫!」とかの激励が繰り返し流れているが、想像を超えた大惨事に遭遇し、からくも生き残ったもののすべてを失った被災地の人々に、今どう頑張れと言うのかと思う。

彼らが元の生活を取り戻すための実効的・物理的な支援が必要なことは言うまでもないし、自分にできることはしたいと思うが、それとは別に、流され、掠われ、埋まってしまっている幾多の命のことを、まず思いたい。家族を失い、住居を失い、糧を失って、不安と途方に暮れている人々の心の無常を思いやりたい。気持ちに寄り添うことから始めたい。そう思うほど、マキの歌を聴かずにいられなくなる。

浅川マキが歌うのはブルースであって、けっして一時の癒しや応援・共感・元気づけのための歌ではない。
だが、あまりにも悲惨で理不尽な事態に遭遇し傷心の中にある人たちが、その傷みを抱きしめながら今日を生き延びていくのに寄り添い、慰撫することができる歌は、ブルースに優るものはないと思う。

ブルースはもともと19世紀のアメリカでアフリカ人たちの間に生まれた大衆歌曲だ。黒人奴隷としての辛い日々の苦悩や絶望感を3行詩12小節を基本に即興的に歌っていた、苦難を共有し、生き延びるための歌だった。浅川マキの詩も曲も、この源基を継いでいるし、歌い手としてのスタートラインも黒人霊歌だった。

浅川マキは、スポットライトの当たるメジャーではなく、アンダーグラウンドのブルース・シンガーとして立ち位置を通していた。「時代の空気に合わせて呼吸できないし、したくない」とも言っていた。

だから、浅川マキは、時代に協調するような歌もメッセージも、明日への希望も歌わなかった。日々、自分の前に現れる風景や空間へのイマージュや感じることばを、そして、通り過ぎる男たち、女たちの感情を、あるいは二度と戻ることのない出会いや時間への乾いた想いを、物語のように歌う。あの太く、しかし愛らしい、ハスキーな声で。それがマキのブルースだ。

そして、そうしたブルースが、それぞれに心に闇や傷みを抱えながらも、今日を生き延びようとしている人の心に、実はもっとも沁み込んでいくことができるのだと思う。