ディシー沢板

「氷の世界」

マイナス17℃。12月16日朝9時、女満別空港の気温である。ロビーから見る窓の外は氷の世界。南国の人にはいくら意識しても想像すらできない世界だと思う。まあ、想像する必要性もないのだが……。

そんな北海道も気温とは別に、熱いものがある。農業団体中心に急遽噴出した「TTP(環太平洋パートナー協定)」への反対の声だ。211%の自給率を誇る北海道では、新聞紙面に躍るTTP参加賛成の論調に危機感を持ち、反対集会が各地で行われている。ここでTTPについての議論を展開するつもりはないが、推進するか否かは別として、日本農業の将来を見直す良い機会かもしれない。

「日本の歴史をよみなおす」(網野善彦:筑摩書房)によると、農業・農民の歴史的背景に対する認識の違いに気づかされる。例えば百姓=農民との理解が一般的だが、近世において百姓とは農民ではなかった。船を持ち交易をおこない、製塩、製炭、鉱山はては金融業も営んでいた。我々が認識している(教科書で教わる)「封建社会は農業が生産の中心で、農民は自給自足の生活をたてまえとしていた」とは大きく違う。ある段階から水田に賦税された租税を基礎に国家を支える体制を決めたことで、農民が流動性を止め、土地にしがみつくイメージとなってしまったのだ。見方を変えれば違う姿が浮き上がってくるし、日本の持つ特性を考え直すこともできる。農業の6次産業化(1次×2次×3次=6次産業)が提唱されている。もっと流動的で進歩的な農業の姿を、功利主義的ではないが儲かる・楽しい農業を、想像してみるのも良いのではないか。

もうひとつ農業は産業としてではない側面を持っている。食料安保としての農業。次の様な予測がある。2050年世界の人口は30%増加し90億人になる。その時必要な総カロリーは50%増。これは何を意味するか。食料の量だけでなく、質の向上が必要とされる。一方、耕作地は増加しない。否むしろ部分的には砂漠化等で減少する。水は今以上に重要な資源となる。輸出国は自国優先=食料囲い込みの可能性もある。日本の様に小さくとも肥沃で、豊かな水資源に恵まれた国で、単にその時の経済の優先順位だけで食料を得る場所を放棄して良いのかとも考えてしまう。

日本人は高い金さえ出せば世界中の食材がどこからでも手に入るとの思いがあるのだろうか。村上龍が2011年を舞台として北朝鮮の福岡占拠を描いた「半島を出よ」は有事的危機への無力さを描いている。小説自体はぼんやりとした想像力を一歩超えた空想が、不気味にリアルな社会空間に漂う、力強く・スピード感のある巨大なジェットコースターに乗って座り心地のよくない振動の中でノンアルコールビールに悪酔いするような作品であった。ただ、戦争気分でも、平和気分でも想像力を欠いた意識は惨めなものだ。想像力を無意識の内に(意識的にかもしれないが)機能停止にしている平和ボケの日本で食料輸入がストップしたらどうなるだろう。この想像は-17℃の世界を想像するよりたやすいと思うけれど。

今ある存在を、角度を変えて意識してみよう。網野善彦は「日本地図を逆さにして見よ」と言った。今、地球儀を逆さにして見る。日本列島が朝鮮半島をバーにして背面跳びでハイジャンプ、もうすぐ着地しそうな男の姿に見えてくる。「半島を出よ」ではなく、「半島を飛び越え大陸へ出よ」みたいな。農業も技術を生かし、大陸へ出るのも一つの手なのかもしれない。

“窓の外にはリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り”は井上陽水の氷の世界。窓を閉めたままでは見えない世界もある。窓が開かないのであれば、想像だけでもしてみたい。せめて無意識をやめ、意識だけは覚醒させたい。

-17℃、氷の世界。外を歩くと頭が痛くなる。筋肉が委縮するせいだろうか。だが、寒さは覚醒を促す。凍りつきそうな瞼をひらき、縮みそうな背筋を伸ばそう。-17℃は-30℃より暖かい。意識を変えればそういうことだ。