ディシー沢板

ジャガイモの空洞

9月に入り北海道にもやっと“らしさ”が戻ってきた。8月は連日30度を超え、25年ぶりという熱帯夜を記録したほどで、全国的な暑さは北海道をも例外としなかった。おかげでW杯に続く、不眠症候群で頭の中がパッとしない。

暑さに苦しんだのは人間だけではない。農作物にも大きな影響が出ている。小麦は十分に実をつけないまま枯れ上がり、収量は期待できない。大豆も実が小さい。種としての生き残り戦略が働いたのか「このままの暑さでは枯れてしまう。早いとこ子孫を残すために小さくても良いから、実を付けてしまえ!」という訳で実だけは付いているが皆小粒である。

ジャガイモも全体的には小さい。中に大きいものあるが、そういったやつは割ってみると真中に空洞が空いているものが多い。これは高温乾燥の後、大雨がきて「いも」が急に肥大したが、中心部にまで養分が十分供給されなかった時とか、地温が高過ぎ水分ストレスとなった時とかに起こる。食べても全く問題はないが“見てくれ“は悪く、クレームの対象となる。

まさに劣悪な自然環境下でどれだけ生き残れるかというサバイバルゲームが行われているかの様に見える。古来進化とはこうした自然のきまぐれな変化にいかに対応できたかの結果であった。自然の中で淘汰され生き残った者だけが今存在しているとも言える。

キリン=首が長い。いやいやキリンの中の首の長い者達だけが生き残っただけ。首の短いキリンは高い樹の葉を食べられなかったのか、草を食べようと草原へ出たらライオンにやられたか知らないが、結果としていなくなってしまった。もし、そこにライオン(天敵)がいなかったら、キリン=シマウマみたいな奴ということになっていたかもしれない。

でも、これは自然界での淘汰だから「そうなんだ」「しかたない」ということになる。しかし品種改良は人間が直接的か間接的かは別として淘汰に関わった結果である。ダーウィンの「種の起源」から品種改良の行を引用する。(昨年、文庫で発売されました。光文社古典新訳文庫)

人はただ、意図しないまま、生物を新しい生活条件にさらすのみである。すると自然が生物に作用し、
変異を起こす。しかし人間は自然が提供する変異を選抜することができるし、それを実行することで望
むままに変異を蓄積する。そうやって人は、動物や植物を自分の利益や楽しみのために適合させる。
それを丹念に行うこともあれば、品種を変えようなどとは思いもせずに、その時点で自分にとって最も
有用な個体を保存することで無意識に行うこともある。

ダーウィンの時代からすると品種改良の技術は格段に進歩している。単なる選抜ではなく、種属間交雑や放射線育種、更には遺伝子導入による育種も可能となった。一般的な選抜育種にしても、その育種目的はどんどん先鋭化し、高度化している。

今の人参は甘くて、栄養価が高くて、青臭くない。砂糖で煮込んだのかと思う程甘ったるい、濃いオレンジのお子様ランチにお似合いの人参。しかもこの人参は高度な技術と長い年月を費やした芸術品ときている。

最近、ⅰPS細胞が話題になっている。(生みの親の京大山中教授はノーベル賞候補のようです。)ⅰPS細胞は簡単に言うと「分化した細胞を初期化したもの」だそうだ。テレビ番組で立花隆は「ⅰPS細胞はタイムマシンの発見に相当する」と言っていた。つまり、皮膚から取った細胞(すでに分化した細胞)から、先祖がえりして“たね”段階まで戻したもの。今度はそれを色々な機能に再分化させたり、障害に対応する薬を作ったりすることが期待されている。

もう20年ほど前になるが、私も1年間ほど国の野菜関連の試験機関に研究員として在籍したことがあった。世の中はバイテクブームで、企業にいた私は技術を学びに来ていたのだ。その頃は植物の細胞には全能性(ある培養した細胞から葉とか、茎とか、花弁とかの色々な組織になれる能力)と再分化性(組織から取り出した細胞がまた組織となる能力)を持っているから培養ができるが、動物にはこれらが確認されていないと言われていた。ⅰPS細胞を使った技術はまさにそれらを可能としたことになる。

ともあれ、環境対応、栽培対応、嗜好対応、流通対応等様々な育種目標に対し、新たに改良された品種が生み出されている。今年多かった空洞化したジャガイモを何とかしたいと思う人もいるかもしれない。「そりゃー空洞は無い方が良いに決まっている。」生理的現象だから仕方ないと片づけるのは嫌かもしれない。でも、その“イモ”は食べられる。食べて問題がないということを知らない(知らされていない)からクレームをする。

何から何まで完璧にしなければ収まらないのか。人の欲求は底知れない。技術が進歩すればするほど、欲求もどんどん高まる。技術の進歩を否定はしないが、欲求にどこまで対応すべきだろうか。(ただ、欲求が過剰か否かは、それへの関係性に因る。身近な問題であれば欲求は強く、もし私がジャガイモ生産者であれば、空洞をほおっておかないかもしれないが)

「タイムマシンに乗って、未来や過去に行ってみたい。」という夢と欲求が進歩に繋がるのもその通り。ただ、タイムマシンに乗って「“たね”段階まで戻ってもう一度やり直し」が出来ないから人生なのかも。

割った空洞の男爵いもにバターをのせた。「丁度良い穴じゃないか。」今夜は北海道風にアツアツのジャガバタに塩辛をのせて、冷たいビールで乾杯することにしよう。ベランダの街路樹はまだ緑。「いつもなら紅葉し始めているのにね」「今年のナナカマドはなかなか赤くならないなぁ~」などと遅い秋を楽しみたい。そこにあるものを大らかに受け入れながら。