ディシー沢板

「空白の20年」

今年の札幌は今のところ雪が少ない、むしろ温かである。通年12月半ばともなればうっすらと雪が地面を覆うのだが、そんな様子もない。地面の土を触ってもサラサラとしている。シバレもない。(ただ、一夜にして銀世界になるので油断はできないが)

今回ある事情で北見から帯広へ移動することとなった。移動方法はバス。自家用車もなく、鉄道(銀河線)もかなり前に廃止となっている、時刻表で調べるとバスがあったので「これで行こう」と考えたのだが、これが大変であった。都市間バスは廃止されており、行ってみるとバスといっても路線バスなのである。まず北見のバスターミナルから北見バスに乗り、約2時間で陸別という町に着く、そのバス停で乗り換え、今度は十勝バスで約3時間揺られてやっと帯広に着くのである。方法はこれしかない。

温かな陽ざしが窓際席の僕に差し込む。乗客一人のバスの車内では太陽の光を独り占めしているようで暖かだった。ある区間に差し掛かった時である、車内アナウンスが流れた。「これからの区間は“フリーゾーン”です。どこでも乗り降りができますので運転手のお申し出ください」“フリーゾーン”という言葉の響き、異文化に出会ったようなワクワク感。陸別町に近づくと風景は白みを帯びてきたが、それさえも心地よく思えてくるから不思議である。

乗り換え地点であるこの陸別という街は「日本一寒い町」「オーロラの観測」として有名である。冬の寒さは尋常ではなく、マイナス40度近くになる。樹木が夜“パーン”と音をたてて割れる。樹木の自らの水分が凍り、自らを割ってしまうのだそうだ。(陸別とはアイヌ語で「鹿のいる川」或いは「危ない高い川」という意味のようだ)

さて、5時間もバスに揺られているとすることは限られる。寝る、景色を眺める、だけでは時間が持たない。持ってきた本を読むことにする。本は「ニッポンの思想」佐々木敦:講談社現代新書。内容は思想(思想家)の系譜を80年代、90年代、ゼロ年代に分け、佐々木氏の視点で分析・紹介しているもの。本誌の特徴と言えば淡々とアラカルト的に思想(思想家)を紹介している点だろうか、評論ではなく解説として。僕にとっては、80年代の4名(浅田彰、中沢新一、蓮實重彦、柄谷行人)は知っていたが、90年代、ゼロ年代の人たち(福田和也、大塚英志、宮台真司、東浩紀)は殆ど知らなかった。そういう意味ではニュートラルな状態で読むことができたとも言える。(ただ、90年代~ゼロ年代をオタク文化論で社会全体を語れるとは思えない)

裏を返せば、この20年間は思想的に何もしていなかったということになる。80年代は僕も20代であり、多感であった。その頃親しんだ浅田彰や中沢新一に久々に出会え懐かしさに浸った。彼らは何を言おうとしていたのだろう?浅田彰は「差異=構造」に対し、「差異化=力(運動)」を積極的に肯定する。既成から逃走し、スキゾになって「外へ出よ、更に外に出よ(構造と力)」と言う。中沢新一はもっと入口のところ(スタート以前)から「意識の働かせ次第(チベットのモーツアルト)」で“そこ”ではなく、“ここ”にいることに気づき、今ある世界と意識をありのままの認めよと言う。

思考がそこで止まり何もしてこなかった20年は僕の≪空白の20年≫であったのだろうか。ふと、“ここ”から何も進歩のしていない自分に気付く。確かに当時でさえ、「ニューアカ(ニューアカデミズム)」とか「ポストモダン」とか言っても何だかよく分からずにいた。友人に「ポストモダンって何?」と聞いて、友人が「モダンの次に来るものだよ」と答える。その程度のものだった気もする。

僕の≪空白の20年≫。30代、40代は一層新自由主義化する社会の中で、息苦しくも収入の得られる会社と家族のためとする温かい家庭の中で、ヌクヌクと生きていたのかもしれない。炬燵でマックのハンバーガーを食べながら、TVに映し出されるW杯サッカーで君が代を聞いているみたいに。

既成からの逃走は脆くも失敗し、差異だけを抱えたままスキゾ・キッズではなく、パラノ・オヤジに知らず知らずのうちになっている。破壊に向かって飛び出せ青春ではなく、秩序に寄り添い生き延びろ中年。途中何だか読むのが辛くなってきた。先ほどまでの日差しは陰り、車中も寒い。

ただ敢えて言おう。≪空白の20年≫を否定はしない。その存在も、存在意義すらも肯定する。決して「それで何なの」と開き直り、ネガティブ無視を決め込むつもりもない。無節操な自己肯定ではなく、繰り返し問い直された中の自己肯定として。

「モダンの次に来るものは?」進化であろうと、退化であろうと、時間軸でモダンの次に来るものは全てポストなのだと20年前の問いかけに答えよう。「スタート以前」に戻ることはできない。だからこそ繰り返し問い直すことで多様な価値観を根本的なところで肯定し、その上での差異化するのだ。

10年代が目前である。ポストゼロ年代の今、結果としての肯定ではなく、プロセス=差異化自体からの肯定をしていきたい。乗り降り自由の“フリーゾーン”の様に。もうすぐ帯広に着く。帯広は陸別周辺とは違いビルが立ち並ぶ街である。陸別の事をふと思う。あの寒い町では昔、独特の生活があり、習慣があったのだろう。そして、陸別には「陸別のモーツアルト」がいたのだろう。スタート前には戻れはしないけど、意識を働かせて外へ出よう。マイナス40度でも。

たまには路線バスもいいね。