石笑 辛一

ドストエフスキーふたたび

① 新訳『罪と罰』(亀井郁夫・訳,光文社古典新訳文庫・全3冊)
② 『「罪と罰」ノート』亀井郁夫,平凡社新書

この夏に2回読んだ。7月24日(おやじの命日)から読み始め、今日9月23日、お彼岸の日にこの感想文を書く。
この物語も1865年7月7日から7月20日に至る、長くてうっとおしく熱気に充ちた、恐ろしいサド・マゾの犯罪小説=怪談であり、悪夢だが、しかし、笑いがないでもない。6部が終りエピローグとなると妙にメルヘンっぽく、童話とも読めるから、ぜひ皆さんも再読してみて下さい。ボクも40数年ぶりに新しい訳で読んでみて、久し振りの感銘を新たにした。これは古典文学ではない、リアリティ・アクチュアリティ溢れる現代小説、いや、100年後、200年後も読まれるであろう未来小説だ。この大傑作をボクは分析・評論したくない。ただひたすらに読んだ、楽しんだ、それでいい。もう一度読みたくなった。

ドストエフスキー(以下、ドスト)は、ひと口に、過剰な人と云われる。心理・感情・意識が度を越す程あふれ、読者の胸をかき乱す。だが、少し耐えてゆくうちにドストの熱気と気迫に、作家の心臓の鼓動(リズム)が伝わってきて、不思議な快感にひたる自分を見出す。そして70の古稀のボクの気持を若返らせる。忘れていた若い心がリフレッシュ。

サテ、翻訳というのは、一種の創造物と思う。20代の時は、米川正夫訳で、漢字が多くごつごつした感じだった。今度の亀井郁夫(1949~東京外語大学長)訳はスマートでこなれて読みやすく、これは亀井=ドスト作品といえる。「罪と罰」第3巻は今年7月に出たが、その前の5月に『「罪と罰」ノート』を書いている。これはドストの「謎」と「仕掛け」のあれこれを詳しく詮索解明しようとしたもので、知的興奮を呼ぶ。ドストは「7」の数字にこだわりがある。

19世紀半ばのペテルブルグは全くの人工都市で、人口60万、そこは犯罪と売春・泥酔の街で臭気に充ち、流浪者・自殺者が増加する一方で、社会主義・革命思想も勃興し渦を巻いていた。その時代環境にあって、ひとりの青年が金貸し老婆殺しを企て実行する。本人は、たかがシラミをひねりつぶした位のもので、良心の呵責“罪”意識は毛頭ない。しかし、娼婦ソーニャの示唆により自首する気になり、シベリヤの流刑者となる、これが“罰”である。果たして主人公は刑を終えて後、“新生”なるか?

亀井に云わせると、現代は「カラマーゾフの兄弟」より「罪と罰」の時代という。氏の翻訳・執筆の動機は、秋葉原電気店街で起きた若者の無差別殺人事件ニュースという。ドストの小説も、当時、実際に起った類似の事件に多分に誘発された。

読者よ、あなたの廻りに、ほら、ラスコーリニコフがおりませぬか? ピストル自殺する小悪党スヴィドリガイロフも……?