洲之内徹

「ゴルキという魚」

「…………
私は、しかし、松田さんの、形がただすうとしてというひと言が耳に残った。何十年も形をさぐり続けているこの人の、これ以上うまく言えないという感じがでていたからだろう。松田さんの古い土蔵をそのまま使ったアトリエには、文字どおり足の踏み場もないくらい、二、三十年来の画稿類が散乱し、堆積している。下図がどこかへ紛れこんでしまって見付からなくなり、そのために中断をやむなくされた未完成の油絵が壁に掛っているという具合である。しかし、その山積みのスケッチブックの中から、手当り次第に引き抜いて見てゆくうちに、私は次第に夢中になってしまい、時を忘れた。いうなれば、松田さんというバッテリーは、長い年月をかけて果された形というものへの理解の深まりでたっぷり充電されていて、一見無造作でしかもよく決まる洒脱な線をいくらでも生み出して行くかのようである。あるいはまた、もしかするとこの人は、若いときに行っていたパリで、ひとり黙ってキュービスムと取り組んでいたりしたかもしれないと、失礼ながらとてもそんなふうには見えない松田さんの顔を見ながら、私は想像してみるのだった。