石笑 辛一

“笑い”について―阿刀田高のエッセイから

①『ジョークなしでは生きられない』(阿刀田高・著:1983年,新潮文庫)
②『ユーモア革命』(阿刀田高・著:2001年,文春新書)

前回は”会話”について、今回は”笑い” についてのエッセイを紹介したい。
かの謹厳な島崎藤村も”ユーモアのない日はさみしい”と書いたが、リンカーン大統領もひそかに「ジョークの本」を愛読したと云う。一方、日本人は洒落や漫才の笑いは解するが、欧米人のようなユーモアが中々見られないと云う。では、ユーモアって何なのか? ウイット(機知)とかジョーク(冗談)と、どう違うのか? ベルグソンの「笑いについて」は、わかったようでわからない。サルも馬も笑っている表情があるようだが、人間だけがよく笑う。笑いの本質は優越感にあるらしく、ピエロやたいこもちは自分をアホにしてみせることで人を笑わせ愉快にする。逆に、どじ(失敗・罪)した奴を嘲笑することで更生・改心させる働きもする。

世の中には笑わない人間もいて、おかしいこともないのに笑えるかと云えば、いや、笑うとおかしくなるから笑ってみなと云う人もいる。日本人は交響曲好きで「第九」を深刻ぶって有難く聴くが、じつは「第九」も笑えるのである。バッハにもごく少ないが笑える曲がある。ハイドン、モーツアルトと来たらもう、悪戯っ気たっぷりである。

告白すると、ボクはオペラをほとんど愉しめたことがない。モーツアルトファンだけど「魔笛」「ドン・ジョヴァンニ」等に酔えないでいる。しかしいつの日か、くつくつと腹の底から笑える日が来ると期待はしている。では、古典落語は? これもよく笑えない。耳がやや遠いせいもあるが、志ん生なんか酔っぱらいのべらんめえ口調で意外に軽薄に聴こえ、どこが名人かと疑う。落語もオペラ(クラシック)も、はじめは気むずかしく取っつきにくいように思えるが、ナニかのきっかけから、急に親しめる意外な面を発見し、以後一生の友、恋人、師となるようで、先入観・固定観念にコリかたまったつまらぬ大人にはなりたくないもので、即ち、ユーモア感覚をみがく必要のゆえんである。

人生は涙と悲劇の谷と云うが、だからこそ、現実に目覚めた精神と眼力・胆力の具わったユーモリスト=自由人の存在が望まれる。世界の民族国民で、フランス人中国人とイギリス人はユーモア感覚が十分にあるが、ドイツ人と日本人はどうか? ラテン人(伊・中南米)は?

阿刀田高を知ったのは、旧約聖書/ギリシア神話/アラビアンナイト/古事記などの古典・神話の要約本を読んでからだが、複雑多様な世界を簡潔に面白く読ませる手腕は大したもの。1935~、早稲田大学仏文卒後、国会図書館勤務、「ナポレオン狂」で直木賞。短篇の名手で、ユーモア・ジョークのセンスも極上だ。では、この人の云うユーモアとは?ユーモアは必ずしも”笑い”と結びつくと限らず、40%は笑いだが、あとの60%は……脳の活性化に関係すると云う。

諸君!不況、リストラ/いじめ、学校・家庭崩壊/うつ、自殺/偽装・振込めサギ・ワイロ横行など、やりきれぬ不公平、不満のくすぶる今の世の中にあって、如何にして精神の平衡と明・朗・快・活さを保つか? これが問題だが、ヒント・キーワードは、”人生皆ジョーダンですヨ、世の中で起こることは大したことじゃないですヨ”と、達観し、ハラをくくり、笑い飛ばしてみせる『J・H感覚』をみがくにあり!? 哲学者になるのはカンタンだ。ひとつはソクラテス、リンカーン、夏目漱石のように”悪妻”にめぐまれることだよん、アハーッ!