ディシー沢板

「農」雑感 2

HP管理人から継続依頼があり、また書かせて頂く事になった。継続はあまり考えていなかったので、前回の内容との関連性はあまりない。ただ、農に関する思いという点だけは同じである。それにしても前回文章を書かせて頂いた時と比べ、あまりの急激な社会状況の変化に驚いている。金融危機・円高・自動車産業の低迷。農業関連でも状況は一変、高騰していた食料価格は平静を取り戻し、飼料・肥料価格は値下がりの傾向になってきている。当分、先の読みづらい社会情勢が続く。

今年の北海道の冬は比較的暖かく、雪の量も少ない。ある人は「地球温暖化の影響だ」と言い、ある人は「最終的には年間降水量(雪量)は帳尻が合うものだ」と言う。それぞれの言葉に頷きながらも自然がどれ程人間の手の中にあるのだろうとの思いも一方で残る。他愛のない会話だが、自然=地球の屈強な中で、時として見せるひ弱な部分に対し、人の傲慢で、あいまいな素振りを感じてしまう。

個人的には雪が少ないのは嬉しい。北海道に住んでいるとロマンチックで幻想的な雪への思いは 重く、冷たく、滑るという負の実態に負けることになる。とは言ってもこの暖かさは秋小麦の生長を促進しすぎ、防除薬剤の適期もずれてしまうため雪腐れ病による被害が心配される。あるべきもの、降るべきものが適当なタイミングで存在するということが、生業としては一番良いことなのかも知れない。

さて、今、農に関して2つのことが頭の中にある。ひとつは食料問題から派生した環境や自然、更には遺伝・生命の問題、本当に大切なものは何なんだろうかとういこと。もうひとつは現実の農業が夢のあるものであるためにはどのように進むべきなのかということ。この2つが頭の中を交差している。今回は後者について、そしてその中でも全体(日本農業全体)の話ではなく、農家あるいはJA(農協)等個別レベルでの問題ついて書く事にしたい。と言ってもある人と飲んだ時の戯言の紹介なのだが……。

あるJAの幹部の方と昼から飲むことになった。ほろ酔い加減の頃、聞いてみた。「おたくのJAのゴールは何ですか?」一瞬戸惑い、少し考えてから「内部の合理化かな?農家の生活の安定と?農協利用率の向上も?農産物ブランドの構築もしたい」いろいろあるようであったが、本当は何に向かっていこうとしているのかわからない=あまり考えたことがない様であった。JAだけでなく、日々の私たちの生活も何処に向っていこうとしているのかあまり考えずに生活している。漠然と毎日の繰り返しに馴らされ、目の前の課題を解決することに必死になっているだけなのかもしれない。

そして話は農家にことに進んでいった。農家もまた自分たちが何処へ向おうとしているのかについて考えていないのではないか、立派な作物を作ることは出来るが、それがどのように流通され、誰が食べるのか、食べた人がどの様に感じているのかを想像したことがないのではないかとの話となった。

先進的な農家の中には既にそのような動きを行っている方もいる。消費者(生活者)を農村に招いたり、生産者自ら生活者の声を聞くために出向いたりしている。今まで当たり前だと思っていた流通と言う名のブラックボックスをこじ開けようとしている。

私たちはあまりに複雑で快適なブラックボックスに囲まれている。一見単純な事(=理解可能だと思い込んでいる)だと分かっているつもりでいるが、実際は知らないで過ごしている。作った馬鈴薯がどのように食べられているのかを知らない。目の前にあるブラックボックスを丁寧に、ひとつずつ手で触れ、開けてみる作業を始動する。生産者と消費者がもっともっと実際の言葉で語ってみる、実体験してみる。そうした意識の高まりが、JAのゴールという形で、方向を生むことになるだろう。

プロセスを理解し、結果を想像できることが、次を生み出す力となる。相手のニーズを把握しそれにあったものを提供すれば農業はもっと力強くなれる。今より少しマーケティング(教科書的でない実践的な)を強化しようと話が盛り上がったところで、昼から続いたお酒も終わりに近づいた。マーケティングとはお客を幸せにするものを作ることの仕組み、買っていただくことの仕組みだと私は思っている。仕組みを変えるのは大変だが、始めなければ前には進まない。

雪の少ない今年でも、それなりに雪は降る。昼間からの雪見酒もそろそろ終わる。街灯に映し出された白い雪をかぶった七竈の赤い実は神秘的で情緒的だ。この時の雪の魅力は 負の実態より確実に勝っていた。