海野 清

田部直枝という人

「本日休館」第7号(2008秋)

 8月28日(木)、いつものように静岡駅北口からJR東名ハイウェイバスに乗り、今回は渋谷に到着。「読書一服」の石笑辛一(トラジロー・ナカノ)氏と御茶ノ水駅改札口で待ち合わせ。氏とは6年か7年ぶりの再会でしたが、手紙や電話でやりとりしているせいか、久しぶりという感じがしません。

 石笑氏にも付き合っていただき、「それぞれの〝気まぐれ美術館〟Vol.2」を開催している、神田神保町の「いのは画廊」に向かいました。 2008年8月25日(月)~30日(土)、「気まぐれ美術館」で取り上げられた作家たち、洲之内徹「現代画廊」ゆかりの画家たちの作品が展示されるという案内をいただき、是非、行ってみたいと思ったのです。

 案内はがきの地図を頼りにビルの3階にある画廊を探しあて、入っていきました。中は思っていたより狭く感じました。

 展示販売をしていて、価格が作品の下に表示してありました。ひと通り作品を拝見させていただき、田島隆夫の絵が3点展示されているところに戻りました。2点はもう売れていました。『白洲正子への手紙-二人が遺した文筺から-』(発行・文化出版局)でも墨の文字と絵、またそのバランスがすばらしいと感じていた「織司・田島隆夫」の絵が目の前にある事が不思議でした。「この絵を観られただけでも充分かな」と思いながら画廊を出ました。
 
 そしてすぐそばにあった三省堂本店の2Fへ。石笑氏と、ビールとコーヒー、チーズクラッカーで、お互いの近況報告など2時間弱の一服でした。

 洲之内徹の著書『気まぐれ美術館』に出てくる「画廊たべ」。田部直枝 (1905~2003)氏が67歳だった1973年、新潟県新発田市の自宅にオープン。6畳ぐらいの応接間が画廊だったそうです。晩年の佐藤哲三を支援、佐藤清三郎は銀行勤務時代の同僚だったという。田部直枝とはどんな人だったのか知りたくなり、いろいろ資料を探しはじめましたが、とても少ない。

 ネット・オークションで手に入れた、小林弘・著『大光コレクション 先見の眼差し-駒形十吉』の「第二部 美の狩人たち」に田部直枝の項があり、その中に、「・・・「自分は絵の素人」に徹して寡黙・・・」とあり、なお一層、田部直枝という人に惹かれました。

 一番詳しく書かれているだろう、里村洋子・著『聞き書き 画廊たべ「絵のある茶の間」物語』という本が発行されていますが、入手するのは難しそうです。
 そんな時、以前からWeb上で読ませていただいている、週刊地方新聞『矢作新報』に連載中の、宇野マサシ/著『続・僕の風景』にちょうど「田部直枝」の事が書かれはじめました。

 宇野先生には、4月「ギャラリー ア ビアント(Gallery A BIENTOT)」でお会いでき、感激して帰って来たのですが、宇野先生が田部直枝に大変お世話になっていて、しかも大きな影響を与えられていたという事をはじめて知りました。

 平成20年6月13日号の「田部直枝と金沢病院」からはじまり、平成20年9月5日号「佐藤清三郎」では、私が新潟で観て一番印象に残った佐藤清三郎の『屋台』についても書かれていて、驚きました。感動しました。

 そんな時期に、その宇野先生から「宇野マサシ新作展」(10月16日~10月26日 アート・スペース彩)の案内はがきが送られてきました。とてもうれしい。本当にうれしい。場所は先生の出身地・愛知県豊田市です。なんとしても行きたいと計画し、10月19日(日)朝早く静岡駅より東海道線にて豊田市に向かいました。その様子、感想は次号で報告します。

 それにしても、田部直枝。67歳で画廊を開き、「画廊通信・絵」も発行していたという。どんな画廊だったのだろう、どんな記事を載せていたのだろう、次から次へと興味が湧いてきます。そして彼の生き様は、これからの私の指針となる、いろいろなものを含んでいるように感じられます。

 次回は2008年12月末に更新する予定です。では、それまで、ごきげんよう。