洲之内徹

「オールドパア」

「…………私はこの頃、ひと頃流行(はや)った「暗い谷間」とか、「時代の証人」とかいう言葉、また、「戦争責任」とか「抵抗」とかいう言葉からも感じられるようなある被害者意識、あるいは被害者の立場だけから戦争と画家の関係を見ることに疑問を感じだしているのである。画家は単に戦争の被害者であるだけだろうか。そんなことでいいのだろうか。芸術家は芸術家である以上、たとえどんな条件と状況の中に置かれても、常にそこから自分を成長させ、深める要素を見つけているのではなかろうか。それが芸術家というものではないのか、と思うのである。
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…………芸術家はみんな、戦争の中でも、戦争によってそれぞれに自己を育てているはずだと思う。いまとなっては、ひとりの画家が戦争によって何を失ったかではなく、何を得たかがだいじなのではないか。

そういうことを私は、七月だったか、千葉の鶴舞の、松田正平さんのところへ遊びに行ったときから考えだしたのだった。正平さんは薔薇を描く名手である。薔薇を描いては梅原龍三郎、児島善三郎と並んで指折りの何人かのうちのひとりだ、と私は思っている。正平さんは、薔薇を描くとき、薔薇なら何でもというわけには行かない。花屋で売っている薔薇は描く気になれない。自分の好きな品種だけを選んで自分の家の庭で育て、花を咲かせて、その花を描くのである。私が行ったとき、教えてもらった名前を私はみんな忘れてしまったが、三種類の薔薇が花を着けていた。

帰りがけに、正平さんは庭へ降り、花鋏を持ってきて、一緒に行った肥後さんに花を切ってくれた。肥後さんがハラハラするほどたくさん切ってくれたが、花を切ってくれながら、正平さんは私に、自分は戦争中に薔薇の花の美しさが本当にわかったのだ、と言った。戦争も終りに近い頃、正平さんは郷里の宇部の炭坑で採炭夫になっていたが、毎日炭坑へ通う道端の家の垣根に薔薇が咲いていて、その美しさが身に沁みたのだという。戦争が、正平さんに薔薇の美しさを教えたのであった。