ディシー沢板

「農」雑感1

人生の節目で、自分自身の棚卸を行なった。やろうと思ってできていないこと、やりたいと思っているがなかなか踏み出せずに入ること、頼まれているがそれに答えられていないこと……。
書き出すと、その多さにビックリする。これから、これら未完了がどれだけ完了になるだろうか?

育種をやりたい。未完了の一つにこれがあった。植物、特に野菜の新品種の育成をしたいと思っている。自分の育成した野菜が畑に広がっている光景を夢見る。今の仕事をする前に10年間程、育種の仕事をしていたことがあり、全くの”素人”ではないが、現在の状態はそれに近いものがある。以前途中まで育成しかけた品種の種は冷蔵庫の中で眠ったまま、もう起せない状態だ。未完了が続いている。

育種の流れで今の農業や食糧のことをつらつらと考えた。
「自給率」と言う言葉を最近良く耳にする。メディアでの露出度が増えているのだ。自給率の前には、”国内””食糧””カロリーベース”が付くことが多い。そして後ろには”39%”が付く。国内食糧自給率とは日本人に供給されている食糧の内、どれだけ国内産で賄われているかと言うもの。カロリーべースとはそれらをカロリー換算で計算したもの。判りにくいのは畜産物だ。仮に北海道十勝産の豚を食べたとしても、飼料の大部分が海外から入っているとのことで自給率は5%となる。

なるべくしてなった自給率39%。日本の発展:工業化方針⇒生産性上位産業へのシフト⇒農業は低位生産性産業:衰退⇒安い食糧の輸入施策。これに食生活の変化が加わる。金を払って過食国家となった日本はどの様に体質改善するのだろう。近未来を想像する。

今までは安く・安定的に世界の各地から食べ物を掻き集めてきた。それが不安定になり、高くなり始めている。安定的に日本へ持ってくるために食料品の供給価格を上げたとしよう。物価高・インフレが起こり、格差は助長されるだろう。ただ、販売価格が上がることにより、日本の農家は幾分か生産意欲が上がるかもしれない。

食料品の供給価格が維持されたとしよう。農家は生産資材費高騰により利益が取れず困窮、農家数は減少する。自給率は更に下がり、高くなった輸入食糧を買わざる負えなくなる。八方塞がりの状態に思える。

また流通の動きも加味する(受入れ姿勢への変化が見られる)と、5年以内には国内のGMO(組換え品種)植物の栽培は開始されるだろう。非GMOにこだわって価格が高騰した時、現在のような観念的反対だけで消費者は納得しない。

高騰した物価と上がらない財布の中身。食生活の水準は下落の一途。政府は食糧・資源価格の高騰を名目に経済対策を打つが、一過性の応急処置は一時的に痛みを和らげるだけに過ぎず、供給力向上施策を取らない限り、真の痛みは除けない。

供給力向上には農業を儲かるものにする必要がある。果樹や野菜は付加価値をつけられる可能性がある(すでに海外の富裕層向けに販売も行なわれている)。一方水稲や畑作品目(小麦、いも、豆、コーン等)は往々にして難しい。そして自給率を左右するのは総じて後者の付加価値の付け難いものだ。この部分はしっかりと”保護”する必要がある。WTOも中国/インドとアメリカとの対立により土壇場で決裂したが、そこまでは決着寸前までいっていた。結果として一定の準備期間が出来たわけで、その間に十分な施策と心構えをするが必要である。

政治評論をするつもりはないが、つらつらと考えていくうちに本当に大変な時代が目の前まで来ていて、そのことに何もしていない自分たちがいることに気づく。痛みが強くならないと動き始めないのは私の悪いところでもある。(せめて、育種の目標は味や形から、耐性や収量に変更しようか、まだ実体はなにもないが……。)

私は今、北海道に住んでいる。雄大な北海道の大地は心を和ませてくれる。ここには本州とは違った色合いの季節の移り変わりがある。初夏、見渡す向こうの丘の先までの色彩、初秋の麦刈跡の黄土とてん菜や馬鈴薯の深緑、そして永くただただ白い雪。変るべきものと残すべきもの。この景色は残したい。でも変れなければ生き残れないかもしれない。頭の中を右往左往する思考の結論はまだない。

ひとつあるとすれば、この原稿で、本ブログの管理人さんから頼まれていた未完了が、やっとひとつ完了にできたことだ。