堀井 彰

動きのエネルギーは重さである

新聞から切り抜いたジャマイカのアスリート、ウサイン・ボルトの写真が手元に2枚ある。1枚は男子陸上100mにおいて9秒72の世界新記録を樹立したとき正面から撮影した写真である。2枚目はオリンピック北京大会陸上男子200mにおいて、96年アトランタオリンピック決勝で、アメリカのマイケル・ジョンソンが樹立した世界記録19秒32を12年ぶりにぬりかえ、19秒30の新記録を打ちたてたときのものである。

100mでは直線を、そして200mではコーナーを走るボルトの2枚の写真は、走ることの原理をみごとに体現しているというのが第一印象であった。上体によけいな力味もなく、重心移動が崩れることもなく体現された走りであった。彼の走る姿をテレビ中継で、また写真で確認しながら、体操家・野口三千三の動きにかんするいくつかの箴言が思い出された。そして、驚かされたことは、彼の両頬が円く膨らまされていたことである。写真の中にその事実を発見して、思わず快哉を叫んだ。ウサイン・ボルトの驚異的な快走には呼吸力が大きく与っていることが証明されたと思えたからだ。

ウサイン・ボルト走法の特徴に、後半の加速の大きさがある。スタートから2、30mまでは、どちらかといえば遅れがちである。それが中盤あたりから加速を増した走りとなる。ことに200mにおいては顕著にその特色が体現されている。

後半、幾何級数的に加速する走力のエネルギーは何かといえば、彼の体格である。前世界記録保持者である同じジャマイカのアサファ・パウエル(身長191㎝)の出現以前までは、バイオメカニクス理論からはじき出された短距離走者の理想体格は身長175㎝とされてきた。196㎝、86㎏のウサイン・ボルトの体格は、陸上短距離走者としては失格とされる。9年近く破られることのなかった9秒79の記録保持者であったモーリス・グリーンは身長175㎝であった。しかしウサイン・ボルトは196㎝、86㎏という規格外の、不適格とされた体格で驚異的な走りを体現してみせたのである。というより、彼の体格が驚異的ともいえる走りを誕生させたといえる。

北京大会で、ウサイン・ボルトによって体現された幾何級数的な加速を持つ走法を、速筋、遅筋といった筋肉の質の相違や、大腰筋の筋肉量に還元して理解する思考法があいかわらず主流を占めている。

オリンピック北京大会男子陸上400mリレーで日本チームが銅メダルを獲得したことは慶賀のいたりだが、4人の日本人選手の走りには、中盤から後半にかけての加速が見られなかった。モーリス・グリーン、アサファ・パウエルそしてウサイン・ボルトといった世界新記録樹立者たちの走りの特徴が、共通して中盤から後半にかけての加速にあることだ。日本人選手で、唯一、中盤から後半にかけて、滑るような感じだったと本人が述べている、加速する走りを体現したのは、10秒00の日本新記録を樹立したときの伊東浩司である。

重心をピック・アップしながら走る、と彼は走法を表現している。しかし、残念ながら、伊東浩司の走法理論はいまだ正当に評価、検討、継承されているとは思えない。

動きのエネルギーは体の重さである、そして、からだの重さが生きるには筋肉の力が抜けていることが必要であると喝破したのは体操家・野口三千三である。また、バランスの崩れこそが動きの原点であり、筋肉の働きはそのきっかけをつくり、微調整をすることにある、とは野口三千三の認識でもある。

ウサイン・ボルトの走法は、自分の体重を十分に、円滑な左右への重心移動に転換する走法を体現してみせたといえる。そして、重心移動が呼吸力によっておこなわれることを、彼の両頬の円く膨らまされていることが証明している。しかし、ウサイン・ボルトの走法がいみじくも体現している野口三千三の身体認識は、残念ながら、日本においてはまっとうに評価、検討、継承される機会に恵まれていない。在野の身体論、運動としての評価である。ことにスポーツ界、教育界では、旧態依然とした筋肉量至上主義、練習量至上主義がはびこっている。

動きのエネルギーは重さである、という野口三千三の認識を体現する方法の試行錯誤は見当たらない。アメリカ型の走法モデルの日本人へ適用作業が現状である。植民地文化の域を出ていないといえる。

時代のからだを象徴的に語っているスポーツ界において、閉塞感が重く漂っている。サッカー、野球、陸上競技などにふれるとき、身体操法のパラダイム転換の必要性を強く感じるのだ。力の抜きかたがわからなければ、力の入れかたはわからない、とは野口三千三の喝破するところだ。一見、迂路と思える道が本質への最短距離であることを考える必要があると思う。