石笑 辛一

これでいいのだ!?

シェーの時代 「おそ松くん」と昭和こども社会』泉麻人:文春新書,2008年6月

昭和37(1962)年にスタートした赤塚不二夫(1935~2008 満州生まれ)の名作マンガ(少年サンデー:小学館)の「おそ松くん」だが、「天才バカボン」(1970~少年マガジン:講談社)同様、ボクはリアルタイムで読んでないので、赤塚マンガをあれこれコメントする資格はないようなものだけど〝ニャロメ〟とか〝だよ~ん〟を口にしていたし、”シェー”のポーズも幾度かしたことがあるから、少なくとも昭和30~40年代の時代の空気はわかるつもり。

著者・泉氏は1956年東京生まれ、街頭観察家/サブカルチャーのおたくで、軽妙なエッセイスト・コラムニストとして以前から知っていたが、先日久しぶりに神田の古書街をぶらり散歩の途中で、この本に目が止まり購入した。

本のカバー帯に〝「おそ松くん」が生まれたあのころは、毎日がオモシロかった〟とあるが、ボクも同感で、東京オリンピック(昭和39)、ビートルズ来日、巨人・大鵬・たまご焼、ハナ肇とクレイジーキャッツ、そして大阪万国博(昭和45)と、1960年代(昭和35~45年)の日本はワクワクドキドキつづきで、まぎれもなく活力と青春があった。むろん、光あれば影もあり、ベトナム反戦運動やフォークソング、学園闘争、内ゲバやヤクザ映画、アングラ文化の潮が渦巻いていたが……。

サテ、この本に即して云わんとしたいことは、この時代は、大人たちもこども達も、女も男も〝らしさ〟があった。一見しただけで職業仕事がわかったし、それでいて画一的でなく、デコボコと十人十色、多様性があった。何より、こども達はグループでよく遊んだりケンカして、ボスもいれば気弱な子もいて、かといって大人たちと無関係でなくて、近所のオッさんオバさんや隣りの兄さんお姉さんとの交流があった。悪いイタズラやマナーに反する行為をする子には注意し叱ったり、逆にわけへだてなくカバーしてくれたり、遊び方や物の作り方を教えてくれる大人が多かった。さらに強調したい点は、昭和33年(東京タワー生る)以前の日本人は、大人もこどもも、顔つきがゆたかで目に輝きがあり、体つきもたくましく足が地に着いていたことである。そう、とくに〝昭和の子ども〟がキーワードである。

具体的なイメージをあげるなら、赤塚マンガや宮崎駿のアニメ(「未来少年コナン」など)を見ればわかる。ひと頃〝現代っ子〟というコトバがマスコミをさわがしたが、一体何んだったんだろう?
今どきの平成の子ども達は、何と呼んだらいいだろう? 〝よくキレる子〟または〝電脳っ子〟かな? ケータイ・TVゲームなどにより、バーチャルな世界にとっぷりひたると、長じてどんな大人になってゆくのか気味悪くなる。

飼っていたカブト虫が死ぬと〝コワレちゃった〟なんていう子たちの感覚が、やがて、ちょっとバス乗っ取りや、無差別な人殺しや放火をやってみたら面白いのでは、とためしてみたくなるのでは?

そういえば今やお年寄りたちもキレやすくなった。時代環境は、幼い児や老人たちにとり、ますます悪化する一方とボクには思われるのだが、今は冥界にいる赤塚不二夫は、こんな時代世相をどう見ているのだろうか? いや〝これでいいのだ〟 !? シェー!!!