洲之内徹

「一枚の絵」

「…………
ところで、私はいま、一枚の絵のことを書こうと思うのだが、私の言う「一枚の絵」は、その「一枚の絵」株式会社の「一枚の絵」のことではなくて、いま私が私の画廊の一隅に掛けている一枚の絵、草光信成の「薄の丘」という小さな四号の絵のことである。
…………
油絵の、油絵としてのよさが解るには時間がかかる、ということもあり、世の中が変った、ということもある。この頃は、展覧会を見に行ってもほんとうにつまらない。絵が婚礼家具並みに売れるという時代だから、街には新しい画廊が後から後からと生まれるし、銀座で石を投げれば画商に当るというくらい画商もふえ、展覧会は年を追ってますます盛んになって行くが、どこへ行っても、たいていは、「ね、見て、見て、」と言っているような絵ばかり並んでいて、こちらは気持がシラケてしまうのである。一枚くらい、こちらにそっぽを向いているような絵があってもいいと思うのにそれがない。そういう展覧会を見るよりは、競馬のテレビを見ているほうが、私なんかはよっぽど気持がいい。第四コーナーを過ぎてから、外からまわりこんできたサンビファーストが、それまでずっと先頭に立っていたタイアラシを寸前で抜いてゴールを通過するというような場面になっても、それらの馬たちはただひたすらに走るばかりで、「ね、見て、見て、」などとは言わないからだ。

いろいろむつかしく考えることもできるだろうが、いまの絵が概してつまらないのは、要するに、この「ね、見て、見て、」がいけないのだと思う。そのくせ性懲りもなく期待を掛けて出掛けて行き、裏切られ、不安になり、疲れて帰ってくると、私はしばらくこの「薄の丘」を見る。すると、胸のうち一杯に立ち罩めていた絵というものに対する懐疑がだんだん消えて行って、私は再び落着きをとり戻すのである。 ………」