堀井 彰

憑依する身体-土方巽「疱瘡譚」-有為の動きから無為の動きへ

暗黒舞踏・土方巽の舞踏「疱瘡譚」第六場の土方のソロが記憶の中に突き刺さってはなれない。昨年の出来事だった。72年に公演された「四季のための二十七晩」のなかの「疱瘡譚」第六場の土方巽ソロパートを撮影記録したフィルムで見たのである。土方巽の舞踏を生で目にする機会はなかった。舞踏を見た体験は、彼の弟子筋にあたる舞踏家たちの舞台を見ただけであった。そして渋沢龍彦や種村季弘、吉岡実などの著書の読者でありながら、なぜか暗黒舞踏という身体表現にさほどの関心は持たなかったのである。数分間に過ぎない土方巽の「疱瘡譚」が、画面の中で展開する土方巽の身体表現が、払拭できないほどに記憶に食い込んでいるのである。「疱瘡譚」で表現されている身体表現の魅力はどこにあるのか、というのも、画面を見ながら、一種、陶酔感に似た体験をしたからである。その正体を見極めたいのである。

後日、土方巽の資料を渉猟してみた。そして彼の活動履歴を閲覧するにつれ、「疱瘡譚」第六場の土方のソロが作品として特異な位置を占めるのではないかと感じたのである。写真やフィルムに記録されている「疱瘡譚」での土方巽の身体表現は、唯一、「舞踏」していると感じられた。

土方巽においても、作品はさまざまな意匠によって、具体的には「音楽」「白塗り」「どてら」などに象徴される衣装、また前衛美術家制作になる舞台装置などを背景として、ある物語性を含ませることで成立していると思える。しかし「疱瘡譚」第六場では、床に仰臥した姿態で、物語を伴奏させるなど、どのような作品意匠をも拒絶したところで「舞踏」が成立している、出現していると感じるのである。

土方巽の舞踏「疱瘡譚」を、たとえ数分間という短い時間、そしてフィルムというメディアを介してであっても、非日常的なとしか表白できない貴重な体験が可能である魅=力はどこにあるのか?
暗黒舞踏の研究家でもある國吉和子は、文化的主題である舞踏を、作家の埴谷雄高、渋沢龍彦の見解を換骨奪胎して整理している。

「埴谷雄高は一九六二年に初めて土方の舞踊に接し、土方の舞踏に『原始の不気味な生のかたち』を見て、この表現を後に『体内瞑想』と名づけた。胎児のように身体を丸めてじっと動かないものが想像力を誘発するという、意味の生成を促す身体というものに埴谷は早くも注目していたといえるだろう」

「彼(=渋沢龍彦)はまた、土方の舞踏を、肉体から日常的な目的性を奪い、純粋な動きに還元することによって、今までに見たことも無いような美を作り出す表現であると定義した」
ここに引用する國吉和子の整理は、土方巽、暗黒舞踏の文化史的位置づけとして、十分に納得されるものだ。だが、だからといって、土方巽の「疱瘡譚」が秘める魅=力の解明には不充分である。
映像の中で身体が蠢いていた。仰臥した姿態で、手足を痙攣させながら肉塊が蠢いていた。だがその数分間という短い肉塊の蠢きのなにが、私の時間を食いちぎり、攫って行ったのだろうか?
その魅=力はどこにあるのだろうか? と言葉で自問してしまうのである。そして、一体どのような身体操法が、土方巽の「疱瘡譚」の背後にひそんでいるのかとも反芻してみるである。

土方巽の「疱瘡譚」は、土方巽の舞踏作品の中でも異色な存在ではないかという印象を、過去の記録や資料の渉猟から感じた。
最近、ロシアのバレリーナ―、マイヤ・プリセツカヤの「瀕死の白鳥」の記録フィルムを見る機会があったが、彼女の背中、ことに肩甲骨から腕にかけての身体の動きはみごとの一言であった。筋肉の細胞の隅々にまで彼女の意志が貫かれているのを感じることができる。「瀕死の白鳥」はマイヤ・プリセツカヤの身体表現である。バレリーナの表現意図が存在し、意志の元にバレリーナの身体は完璧に制御されていたといえる。

土方巽の「疱瘡譚」は完全に舞踊の概念を裏切るものだ。先に引用したロシアのバレリーナ、マイヤ・プリセツカヤに象徴されるようなクラッシックバレエ、そしてモダンダンスあるいは日本舞踊といった身体表現という文脈にも包摂されない存在であるという印象が強かった。はたして作品なのか、人間の意志が働いた表現なのか、土方巽の「疱瘡譚」は観る人間に問いかけているように感じた。画面には作舞の痕跡がまったく希薄といっていいほどに感じられなかったのである。いわば、白砂の庭に石塊が置かれている。観る人間の視線を釘づけにする魅=力を持っているが、石塊が自然石なのか、人の手がはいった人工の石なのかは判然としないといった関係が想定されるのである。

土方の舞台作品の中でも、「疱瘡譚」第六場のソロ舞台は、仰臥した姿態に、真綿を白塗りの身体に絡めただけで、物語などの意匠の希薄な作品となっている。というより物語や舞台装置などを極力排除することのなかで、身体自身に委ねるという姿勢が感じられるのである。作品を構成していた音楽、物語も舞台上の身体自体の中から、身体自体が紡ぎ出す。

音楽も、物語も、身体の所作の中に胚胎されている。土方舞踏は、とくに「疱瘡譚」においては表現することを拒絶する意志を貫いていたのではないか? ここで思い出すのは詩人の清岡卓行が、なぜ音楽に詩をつける仕事をしないのかと問われて、すでに言葉の中に音楽があるから、と答えていたことが印象的だった。  モノ・クロフィルムの中で手、足の肢体を痙攣させ、蠢かせている土方巽の姿態は作舞の意図を拒絶し、すべてを蠢く姿態に語らせることを意図しているかのごとく感じられた。蠢く姿態を目にしている人間は、蠢くだけの姿態に釘づけとなってしまうのである。舞台の上には作舞家も、舞踏家も存在しない、蠢く肉塊があるだけだった。

「表現できるものは、何か表現しないことによって現れてくるんじゃないのかい」、と土方巽は語っている。彼は、表現における人間的特権を希薄化しようとしていたのではないかと思える。

では、表現しないことで表現するという逆説的世界を成立させるための身体操法はどのようなものだったのか?

身体操法と表現すると、人為的な匂いが強く感じられる。作為の色が強い。土方巽が拒否している姿勢である。
作為、人為を拒否した世界とはどのようなものなのか? 「疱瘡譚」第六場のソロの映像から、狐つきなどの象徴される憑依の世界が出現してくるのである。そして、土方巽の弟子たちが残す稽古にかんする資料を読むと、憑依する身体を作ることが稽古の先に見据えていたものではないかと想像される。そこは近代知の「人間」という主語が消滅する地平でもあるのではないだろうか。