洲之内徹

「ゆめまぼろしのごとくなり」(『人魚を見た人』より)


 その日は不思議な日で、夜、Tに会ったのとは関係なく、昼間、私は学校にいた頃からほぼ五十年ぶりに、しかもそれ以来初めて、もと東京美術学校の本科、現東京芸術大学美術学部の構内を、奥の方まで歩いてみたのだった。そこの芸術資料館で野見山暁治氏のデッサン展を見たついでだったが、すっかり変わってしまっていて、私は知らない学校へ入り込んだような気持ちになり、歩きながら、いまにも誰かに咎められそうな気がしてならなかった。・・・・・・
 ところが、・・・・・・何もかも変わってしまったはずの構内の、敷地の隅まで行ってみて、私は思いがけず、五十年前と全く変わっていないもの、しかも、それが変わっていないことに気が付くのも私だけかもしれないものを、そこで見たのだった。一瞬、私は夢幻(ユメマボロシ)のごとき心地になった。
・・・・・・・
 あのときのあの一瞬を、私が忘れるということはないだろう。それどころか、思い出せば昨夜のことのように、まざまざと浮かんでくる。とはいうものの、そんな記憶が自分の裡にあろうとは、普段は思ってもみない。たまたま五十年ぶりに、昔自分のいた学校へ来て、突然思い出したのだったが、忘却といい、記憶といい、いったいどういう仕掛けになっているのだろうか。
・・・・・・・
 いまここへ書いているような、こういうことの続きで、セントラル美術館の回顧展のカタログを読むと、次のような言葉が眼に付く。野見山さんがこう言っている。
 「過去に遡って歩くのは、どこかで、都合のいいものばかり拾い集めるようなウサン臭さがある」
 「回顧展というのは、画家の今日までを振り返って眺める催しかと思い込んでいたのは迂闊だった。実は、画家の傍にぴたりと寄りそい、絶えず唆かし、画家がどんなに、さよなら、をしても決して離れてくれないあるイキモノ、その正体をあばいてみせる企てだったのだ」
 「バックミラーに写る刹那の表情は、本人の関知しないところだ。走っている今の時点にしか〈私〉はいない」
という短い数行では、私は野見山さんの絵を眼に浮かべた。芸術資料館でデッサンを見て、回顧展で油絵を見てよく分ったが、野見山さんは、対象から生まれる最初のイメージを画面に描き、すぐ、また、そのある部分を塗り潰し、押え、描き起ししながら、最終的なフォルムに近付いて行く。画面が刻々と変化し、推移するが、考えてみれば、動き続けているのは野見山さんのイメージの方なのだ。「走っている今の時点にしか〈私〉はいない」と、絵の中でも野見山さんは言っているのだった。

(新潮社・刊気まぐれ美術館シリーズ(全6冊セット)所収)

野見山暁治のデッサン「風」1973年 76×57.2 グワッシュ/ペン/インク作品の画像

野見山暁治「風」1973年 76×57.2 グワッシュ/ペン/インク(新潮社『人魚を見た人』より)


[Editor`s Note]

 今年(2017年)の1月19日~2月1日、東京銀座のナカジマアートにて野見山暁治の新作展が催された。油彩、水彩、立体作品、パリのアンティーク品に収められた絵画など約40点が並び、展覧会終了後も一部作品は継続展示されている。
96歳を迎えてなお創作をつづけ、現役日本画壇最長老でもある野見山暁治。2017年の2月26日には信濃デッサン館(上田市)で開催中の「槐多展」に併せ。「170歳対談-話したいこと、聞きたいこと」と題して、同館館長の窪島誠一郎との公開対談もしている。信濃デッサン館に併設して戦没画学生の遺作・遺品を展示する無言館の実質的な創設者は野見山だが、今回取り上げた洲之内の本文にはその背景と想いへの感慨が記されている。

 洲之内徹が画家として野見山暁治について書いているのは、たぶんこの一文だけではないだろうか。二人の間には日常的に親密な交誼があった様子はない。どちらかというと、お互いにある種の構えた関係が窺える。

 野見山暁治は画家としてはもちろん、文章家としても超一流で著作も多い。いっぽう洲之内は、画家ではなく美術鑑賞者であるが、その眼力と文章の才は白洲正子や小林秀雄が当代随一と賛嘆した通りである。二人はそれぞれに相手の才を敬意をもって意識し、互いに評価していたのだろうと思う。だがしかし、世俗的に言えば、”趣味が違う”とか”心性が合わない”といった、あえて和したくない、認め難いと思うような情動が野見山に、そして、苦手の気が洲之内に、それぞれあったのかもしれない。

 洲之内の方が七歳年上だが、その年長者に対して野見山の言い様は、一見辛辣で遠慮がない。
 「あの表情を御覧なさい。顔の造作のどこひとつにも自信のない、花札でいうならばカス札ばかりよせ集めて出来あがっている配列の、いったい、そのどこに焦点をあわせたらよいのか、洲之内さんと向いあって坐ると、わたしはいつも戸惑う」

 この引用は、本文にも書かれている『洲之内徹小説全集』の第2巻月報への野見山の寄稿である。野見山は洲之内から自分の顔を描いてくれと頼まれて気楽に受けたものの、いざ向き合うと「幼いころから見慣れた、どこにでもある小父さんのツラツキ」で、「うす暗い電燈の下で暮らしていた時代の、そのまま据え置かれた男の顔」だと、こき下ろすのだが、そこには、気の置けない相手を親しみをこめて揶揄しているような趣と敬意が感じられる。
 いっぽう、そう言われた洲之内は怒るでもなく、大人の対応とも読めるようだが、やはり相手への敬意を感じさせる返答をするのである。
 「野見山暁治という人は不思議な人だと思う。・・・・・・ろくに会って話したこともないのに、どうして私という人間をこんなに見抜いてしまうのか、不思議という他はない。本当に、私は一度も野見山さんと話をしたということがないのだ」

 野見山暁治の叙述から「徹底的に洲之内を批判した」と評する人もいるが、二人の間にあった実相は、それほど近視眼的なところで見えるものだったのだろうか。