堀井 彰

「快楽の館」には快楽は非在だった



 <篠山紀信展「快楽の館」>を見に行く。
 <篠山紀信展「快楽の館」>は、2012年、東京オペラシティアートギャラリーで初めて美術館で開催された写真展<篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE BY KISIN>以来の久しぶりの美術館での展示企画である。

「篠山紀信 快楽の館」の展覧会案内写真

篠山紀信展「快楽の館」(原美術館WEBサイトより)

 壇蜜をはじめ32人の女性ヌードを撮影した作品(一部に男性のヌード写真も含まれていた)が美術館の壁面を飾っていた。

 「快楽の館」とタイトルは大仰で意味深だが、一歩会場に足を踏み込むと、一般的に”快楽”という言葉が発散する淫靡な、禍々しい雰囲気とはうらはらに、言葉に触発された先入観を裏切って、ヌード写真たちはあっけらかんとした健康力を発散し、乱舞しているのだった。期待していたような扇情的でエロティックな体験は、そこには微塵もなかった。若々しい全裸の肢体を目にしても、何らの感情の動きや、生理的な励起などもやってこなかった。篠山紀信が撮影した写真の世界が、あまりにも健康的すぎたせいかもしれない。

 作品の展覧会場とヌード撮影の会場とは同じ空間で、ヌード写真を撮影するための装置がさまざまに用意されていたが、それらも全く固有の発情機能を発揮していないかのようだった。会場となった原美術館は1930年代に建築された白亜の洋館である。白亜の洋館というだけで、ヌード撮影には十分に想像力を刺激する空間装置だと思うのだが・・・。

 モデルの女性たちは十分な量の媚びを含んでカメラ目線を送っている。くわえて、赤色や黒色のエナメルのピンヒールの靴を履いたヌードも、もちろんヌード写真の定番小道具として用意されているが、しかし、これだけヌード写真を撮影する小道具や装置を備えながらも、若々しい肢体の溢れる篠山紀信のヌード写真は、「快楽の館」という言葉を裏切っているのだった。

 健康すぎるヌード写真を前にして抱いた感想は、ただこちらの感性、審美眼などの能力を審級されているのではという意識を抱かされたことだ。

展示作品の壇蜜のヌード写真

展示作品の壇蜜のヌード(原美術館WEBサイトより)

 例えば過去の『誕生』や『死の谷(Death Valley)』といった篠山のヌード作品の延長線上に今回の「快楽の館」を想定してみると、断絶と違和感は否めない。展示されているヌード写真たちは、余りにも日常的な佇まいを表現している、というより日常生活そのもののなかにある。そういうヌードが異化効果を発揮する存在ではありえないことの、言わば証明体験かとも思わされた。

 日々の生活の中でヌード写真は特異な存在ではなくありふれた風景に過ぎなく、特権的な位置を喪失してしまっているのだろうか。

 この不感症的な体験のなかで、壁面を飾るヌード写真にかわって壁面を飾るのが実物のヌードモデル、裸体たちであったなら、この不感症的な事態は生じたであろうかとも考えさせられた。”快楽”という言葉が人の感性、欲望を刺激する力を喪失しているのでは・・・、と考えさせられたほどだった。

 そして、篠山紀信の今回の写真展は、ヌードモデルたちをきわめて日常的に、あっけらかんとした健康さで撮影することで、時代の空虚さを映し出しているのではないかという感想を抱いた。だから逆に、展示されている写真にかわって実物のヌードモデルが存在していたらどのような事態が生じたかを想像することも、写真を見ることの中に含まれている、問いかけられていると感じたのだ。撮影空間と展示空間とが同じであることの企画意図も、そこにあるように感じるのだが、どうだろう。

※「篠山紀信展 快楽の館」は原美術館(東京都品川区北品川4-7-25)で2017年1月9日まで開催。