洲之内徹

「猫は昨日の猫ならず」 ( 『セザンヌの塗り残し』 より )

小泉清・作「猫」

小泉清・作「猫」(1947年 油彩 37.9×45.7)

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 こんなことがあった。あるとき、たぶん外房あたりの海の、どこかの断崖を描いたと思われる二十号くらいの油絵を預かって画廊に掛けていたが、偶然画面に手が触れると、一ヵ所、絵具が軟らかくてブヨブヨしている。小泉清が死んで五年も経つというのに、まだ絵具が乾かないなんてことがあり得るだろうか。折柄お盆で、小泉清があの世から帰ってきているのではないかと、思わず四辺を見廻したりしたが、それは、チューブからいきなり画面へひねり出したイエローオーカーの、細い棒状の絵具の外側が先に皮のような具合に固まり、内部が空気に触れないために、いつまでも固まらずにいたのだった。
 それにしても、そういう小泉清の色には小泉独得の美しさがある。彼の好んで使ったプルシャンブルーの、あの澄んで淋しい青を、彼以外に私は知らない。あの強烈な赤でさえも不思議に淋しいのだ。色調を整えている隙などないとでも言うように、生の絵具をぶっつけに持って行く彼の色を見ると、私は「色は人生の狂熱である」と言ったゴッホの言葉を思い出す。しかし、小泉清の狂熱は燃え上がり、燃え拡がらない。あの異常なまでの盛上げのために、却って内へ内へと押し籠められて行くかのようだ。一見激情の奔流のように見えながら、彼の画面にはどこかに沈鬱の気配が漾い、孤独と寂寞が影を落している。何が小泉清の裡にはあったのか。
 人はよく小泉清の色に、半分日本人ではなかった彼の体質を言う。父親は小泉八雲、即ちラフカディオ・ハーンで、ギリシャ人とイギリス人の混血のその父親と、日本人の母親との間に生まれた四人兄妹の三男が清である。もっとも、彼はそれを言うのを嫌った。中学では英語の出来がよくなかったという笑い話さえある。にも拘らず、どうしようもなく日本人ではないという面が彼にはあったらしい。
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 死ぬまで、売るための、売れるような絵がどうしても描けなかったというのも、その妥協のなさのさせる業だったろう。猫は好きだったというが、好きな猫を描いてもこの有様だ。とはいえ、小泉清だけでなく、そういう絵かきがいまはいなくなった。猫は昨日の猫ならず。
(新潮社・刊気まぐれ美術館シリーズ(全6冊セット)所収)

[Editor`s Note]

 『藝術新潮』の「気まぐれ美術館」の連載で、村山槐多を2回にわたって論じた次に、96本目として書いたのが本文「猫は昨日の猫にあらず」だった。
 洲之内徹が30年暮らす自宅アパートの周辺で以前は多く見かけた猫がいなくなったというエピソードから起こし、菱田春草の作と伝えられる黒猫の絵(「屋根の上の猫」)と春草の話題を承に記しながら、「黒猫のことだけでなく、白猫のことも・・・」と小泉清に転じ、生前会うことのなかったこの画家の「狂熱」を感じさせる色遣いの本質を、洲之内らしい感性で照射する。

 小泉清は1900(明治33)年12月、小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)の三男として東京の市ヶ谷富久町に生まれる。1919(大正8)年4月、東京美術学校(美校、現・東京芸術大学)西洋画科予備科へ入学。同年9月には本科1年に進級。同期生には岡鹿之助がいた。だが1921(大正10)年、肺に異状があり入院、美校を中退。
1923(大正12)年に針シヅと結婚、翌年長男、5年後には長女誕生。このころは絵筆をとることなく、趣味のヴァイオリンで映画館の楽士として働いていた。1934(昭和9)年、中野区鷺宮3丁目に新居を築く。生活のためビリヤード場を併設、翌年、画室を増設。このころより独学で洋画を学び、創作することが多くなったが発表はしなかった。
 1946(昭和21)年3月、里見勝蔵の勧めにより読売新聞社主催第1回新興日本美術展に初めて出品、読売賞を受ける。翌年10月、銀座シバタギャラリーで初の個展。さらに翌1948(昭和23)年には、梅原龍三郎の推薦により第2回一燈美術賞を受賞。1954(昭和29)年、国画会会員として迎えられ、初めて美術団体に所属する。しかし、1961(昭和36)年12月、妻シヅが急逝した3カ月後、後を追うように自らの命を絶つ。

 たとえば「自画像」の、チューブから絞り出した絵具をそのまま塗り重ねていくような、絵具の盛上げを特徴とする絵。洲之内徹は生前の小泉清と面識はなかったが、小泉の自死後に長男・閏の妻から「猫」の絵を購入する。しかし、現代画廊に掛けても買い手はつかず、スタッフの女性たちからは気味が悪いから置かないでくれと抗議を受ける。購入の理由について洲之内はこう述べている。
 -「この絵が小泉清らしい美しさを持った絵だと思ったからにはちがいないが、同時に、この白猫に漂う一種の鬼気の如きものに、伝え聞く小泉清という人を想像したということもあったかもしれない。」

 洲之内コレクション(宮城県美術館所蔵)には、この「猫」も「自画像」も入っている。