築地 政男

“休日は茶畑で”-静岡市清沢の和紙

短い秋が過ぎ去り、朝は霜が茶園を覆う時季となりました。相手の見えない原稿を作成するのも4回目となりました。今寒肥に使う堆肥を作り終え、少し息を整えつつ画面に向かい始めたところです。

今回はHP「本日休館」管理人・海野氏の希望により当地清沢の手漉き和紙の紹介です。

さて、手漉き和紙は私が物心ついた頃には冬の農閑期に副業として営まれていました。夜なべ仕事に、土間で下準備として和紙の原料であります楮(通称かんず)を軟らかく加工して、穴をあけた石に二つ割にした青竹(こばし)を差込み、その竹の間に楮を挟め引き抜いて黒い皮をこそぎ落とし、更に小刀で仕上げ削りをして白い皮のみにします。

笑われるかもしれませんが、まだテレビのない環境だったせいか、幼いながらもその光景は鮮烈な記憶として脳裏に焼きついています。我が家のみならずほぼ清沢全域で江戸時代より営まれていたことは、静岡市内の某私立大学教授によっても明らかにされています。

清沢においては黒俣地区の和田紙が県内においては知られていたと亡き父が話していたことが思い出されます。また和紙の原料には嘗ては3種類あり雁皮・三椏・楮だそうですが、清沢においては主に用途が茶生産とのかかわりから茶紙(焙炉紙)であり粗削りで強靭な楮のみが主流で、障子紙に三椏を使用したと聞きます。

「粗削りだから、細かな滲みやかすれはでない。だけど、素朴な味わいがある。(後略)」芸文社「嘉彩」3号(平成5年5月27日発行 特集/和紙をつくる・つかう)

藤枝市の書家・大井碧水氏によって皇室がお買い上げになったこともある駿河柚野紙と清沢和紙を使って山頭火を書き紹介された。拙宅にも一度だけ寄られたそうだが残念なことに73歳で故人となられた。

昭和30年代中頃に途絶えた手漉き和紙作りが復活したのは、静岡市中央公民館(アイセル21)の分館である清沢公民館より公民館祭りに地元の伝統的な催しを取り入れたいとの意向を当時の清沢地区振興会が受けて、有志によって清沢和紙保存会が結成されたのは昭和60年のことでした。主に清沢ふるさと祭りへ和紙販売と体験コーナーの出店から始まり、中央公民館・西部公民館・大里公民館・藁科公民館・三菱電機静岡製作所・静岡すんぷ博・静岡産業館(当時)等へ活動範囲は広がりをみせましたが、約20年たらずのうちに14名の会員も高齢化と後継者の育成までは手が回らず平成14年、父の死去により事実上保存会は休会となりました。

現在は昭和60年代からの静岡市立清沢小学校の依頼に応えて和紙作りの講師として母が活動を細々と継続しています。ただ1人ではできないことで、PTAに協力を呼びかけ5年経過した今、農林業を営む40代の方がご夫婦で手伝いに参加され後継者として期待されています。因みにこの男性は私が嘗て在籍していた地元消防団でともに役員として活動し、その人となりも知っていた方でした。本年12月7日夜にNHK静岡放送局が放映した小学生を山に連れて行き森林学校の講師として出演していました。母が手隙になれば私も自宅で習いたいと思います。

話が前後している所があったり、実際の経験がない、また個人情報保護の面でもいささか書き尽せない面もありますが、これが精一杯のところとご容赦願います。ご質問等ありましたらできる限りお答えいたします。下記までご連絡下さい。一年間有難うございました。


清沢小学校で楮(こうぞ)を束にして蒸している寒くなってから花が咲く三椏蒸す前に小枝を払って束ねた楮。クワ科の植物で秋には落葉しています。