堀井 彰

二つの道 東山魁夷と靉光と


 
 東山魁夷の『道』、『秋翳』を前にしたとき、唐突に中原中也ことが思いだされた。いや、唐突というのは正しくはない。

 東山魁夷の絵を直接眼にするのは初めての体験だった。日本画の巨匠といった美術史的な知識、そして図録で彼の作品を教科書的に目にしたことはあったけれど、作品そのものを眼前にすることはなかった。遠因は、日本画そのものに具体的な検証のないまま保守的な世界であるという、大雑把な先入見を持っていたことがあるのではないかと思う。時代の思潮にそったさまざまな試行錯誤の痕跡が顕著に理解できる油彩作品に、関心が向かっていた時期が長かったからではないか。私の絵画に対する関心は、偏頗な、その程度のものだったといえる。

 今回の東山魁夷の作品との邂逅も、そもそもは油彩画家である靉光(あいみつ)の作品を見ることを目的にしていてのことだった。

靉光「眼のある風景」(東京国立近代美術館所蔵)の画像

靉光「眼のある風景」 東京国立近代美術館所蔵

 実は靉光の作品も、それまでは図録、画集でしか目にしていなかったことは東山魁夷と同じではあったが、知識として関心の度合いが強かった。そして、やっと絵を直接に見ることのできる機会にめぐり合ったのだ。

 靉光は『自画像』と『眼のある風景』の二点が強烈に印象的だった。まさしく近代的な自我が表出されている絵だと感じた。どちらも、絵を前にして息苦しい、心理的な圧迫感、対立感を体感した。画家の抱えている精神的な葛藤が、見る人間に伝染してくるような体験だった。絵を前にして、見る人間が必然的にいま体感している内容を、たとえば画家の意図を忖度するなど、言葉で紡ぎだすことを強く迫られているように思え、重苦しい時間だった。

東山魁夷「道」(東京国立近代美術館所蔵)の画像

東山魁夷「道」 東京国立近代美術館所蔵

 靉光から放たれた重苦しい時間を逃れるように場所を移すと、そこに東山魁夷の『道』があった。そして、重苦しさから救われる思いを感じた。画家が抱える葛藤の息苦しさや対立感といった世界から程遠い、静謐な世界がそこにあった。

 ただただ泰然自若として絵ががそこにある、といった印象である。しかも絵の世界が外にあるのではなく、見ていると、相互浸潤とでもいえる、絵の世界に自分が染まっていくような内的体験がやってきた。

 靉光の作品を目にしたときに体験した自我の葛藤する息苦しさ、圧迫感は、もう時期は記憶の外になってしまったが、詩人の中村稔が死の床にあった中原中也の残した日記か手紙を発掘し、その内容に言及した新聞掲載の文章を思い起こされた。確か、近代日本人としての反省として、自我の過剰な強さを指摘したというものであった。

 中原中也の詩をはじめて読んだのは高校生になってからだが、偶然に、年の離れた従兄弟の書棚にあった詩集の頁を開いたときに、有名な詩句「汚れちまった悲しみに・・・」を知った。そのときの素直な感想は、言葉の口当たり、心当たりのよさは味わいながらも、過剰な自己修飾に嫌悪感を覚えたことが記憶に残っている。そのために、以来、中原中也の詩から遠ざかってしまったように思う。ふりかえってみると、自分のなかに過剰な自己修飾を、肥大した自我を見ていたからではないかと思う。

 靉光の『自画像』と『眼のある風景』を前にして体験したのは、作品にある描線、彩色、構図などひとつひとつに感じるたびに、おのおの意味づけを自問させられるような重苦しさ、息苦しさに襲われ、見る側にも自らの強すぎる自我の存在を発見させられることだった。だから東山魁夷の絵を目にしたときに、作品の絵画構成にある意味を問うこともなく素直に、まずは直截に、その作品世界を受容することが出来たことに驚いた。
 それは思いもよらない甘露な時間の体験だった。考えることなく、問うこともなく、作品世界に染められるという受身の立場に身をおいたからこそではないかと思う。

 あえてその体験について理屈をこねるとすれば、靉光の絵と東山魁夷の絵との、おのおのの作品の構造が、また自我のありかたのベクトルが異なっていることに由来するのではないかと思う。けれどそれ以上に、東山魁夷の作品で体験した時間は、私にとっては希少価値のものであった。以前に、速水御舟の作品を見たときに体験した時間の中身と似ているようにも思える。

 今回の東山魁夷の体験といい、速水御舟のときといい、それが食べず嫌いのせいでこれまで理由もなく、というより進んで縁をむすぶことのなかった日本画特有の構造なのか、それとも日本画をみる機会が少なかったためなのか、未だよく了解できないでいる。