洲之内徹

「羊について」、「自転車について」より

「羊について」より
「……私は、やっとこの頃になって、生きているということがとても面白いことだということが解ってきたところなのである。一日一日といろいろのことがよく見えてくるような気がして、とても楽しいのだ。見えてくるというのは見方を覚えるということでもある。そのために本を読む。いつかこの「気まぐれ美術館」で書いたように、一時期、私は六年間一冊も本を読まないということもあったが、この頃は本を読むのが面白くてたまらない。そして、一冊読むごとに、世の中にはどちらを向いても偉い人間が一杯いるんだなあと感心してしまう。折角こうなったところで死んではつまらない。しかし、いま死んでも、こうならずに死んでしまうことにならずに済んだだけでもよかったなあ、と思う。……」

「自転車について」より
「……万一松田さんが売れっ児になって油絵が号何十万円もするようになり、この山の中まで画商だの美術記者だのが次々と車を乗りつけてきて、そういう来客のためにアトリエが綺麗に片付けられて新らしいテーブルとソファーが据えられ、飾り物の高価な骨董品が棚に並ぶようになったらもうおしまいだ。松田さんのアトリエは汚いが、汚ならしくはない。そういう汚ならしいもの、他人を意識したものが一切ない。裸の蛍光燈で照らされたその古い土蔵の中で、松田さんは誰とも会話しないし、会話を予想していない。話し相手は自分だけ、つまり独り言を言うだけだ。絵を描くことも独り言なのだ。ところで、現代の絵画、現代の小説、あるいは現代の評論から全く失われてしまったのがこの独語性、モノローグの精神ではあるまいか。そして、私がこんなに松田さんの絵に惹かれるのは、このモノローグの精神に惹かれるのだと、実は、先日、松田さんのそのアトリエの中に私自身がいて、ふと気がついたのである。祝島では、私はそれに気付かなかった。……」