堀井 彰

藤田嗣治の「戦争画」

藤田嗣治《アッツ島玉砕》1943年 (無期限貸与)ⒸFondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 G0128作品画像

藤田嗣治《アッツ島玉砕》1943年 (無期限貸与)ⒸFondation Foujita / ADAGP, Paris & JASPAR, Tokyo, 2015 G0128(東京国立近代美術館MOMAT コレクション,特集:藤田嗣治全所蔵作品展示図録より)



 藤田嗣治の「戦争画」と呼ばれている絵を見ることができた。
 ながいあいだ作品の存在について、また作品がたどった数奇な運命について、たとえば近藤史人著「藤田嗣治『異邦人』の生涯」など藤田嗣治に関する書籍、資料で知識としては知っていたが、絵を眼にすることは出来なかった。

 今回、東京国立近代美術館において企画された「特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示」(2015年9月19日~12月13日)では、その「戦争画」も展示されていた。

 「戦争画」と呼ばれる14点の藤田の絵を現実に目にしながら、ながいあいだ抱いていた疑問、それらの絵が甘受しなくてはならなかった数奇な運命について、あらためて首を傾げざるをえなかった。14点の絵を制作年度にしたがって眼にしながら、これらの絵を見ることがなぜ封殺されてきたのか、一般公開がなぜ憚られたのかが、まったく理解できなかったのである。

 戦中は陸軍省主催の聖戦美術展で象徴的作品のひとつであった絵画が、戦後突然にその存在を抹殺されるように、歴史上から姿を消した。そして正体不明の戦争責任という一言で、一般公開されることも封印され、現在においてもその存在は、たとえば絵画の所有権なども確定されず、今回、東京国立近代美術館所蔵の14点の絵画たちも、正式にはアメリカからの「無期限貸与」という奇形状態での展示となっている。

 今回展示の、昭和16年制作『哈爾哈河畔之戦闘』から昭和20年制作『薫空挺隊敵陣に強行着陸奮戦す』までの「戦争画」14作のなかで、藤田嗣治自身が最高傑作と自認していた『アッツ島玉砕』(文頭写真)には圧倒的に彼の画才を実感させられた。

 死屍累々と折り重なり合った日米兵士たちの姿を描いた画面からは、戦闘場面の惨劇も、悲惨も、悲憤も感じられない。暗い色彩を基調とした画面からは、善も悪も一緒くたに飲み込んで混沌とした人間の生命力が、鋭く緊張感をともなって迫ってくる思いがした。

 そこには、正義も非道も突き抜けた異次元の世界が表出されているようで、子供のころに田舎の菩提寺の薄暗い堂の中で目にした火焔に包まれる地獄絵図をほうふつとさせるものがあった。そして、戦争責任だの社会正義だのがしょせん時代の仇花にすぎないと嘯(うそぶ)かせる精神的緊張感に画面は漲っていた。
 人間のなかには悪も正義も息づいている。奇縁あれば悪を働き、人を殺戮することがあるし、奇縁さえあれば己が身を挺しても他人を救う行動をあえて選択することもある。そのような丸ごとの人間存在を『アッツ島玉砕』は表出していると感じた。

 あらためて疑問が頭をもたげた。

 『アッツ島玉砕』をはじめとした14点の絵画はなぜ封殺され、一般公開を忌避させられてきたのか。作品を「無期限貸与」され、収蔵していた美術館はなぜ一般公開を回避してきたのか。また、藤田嗣治はなぜ戦争犯罪の責めを負い、祖国を捨てざるを得ない立場を強いられたのか。

 軍部の意向を受け戦闘場面を素材とした絵を描いたことによるのか。しかし藤田嗣治と同じようにすでに社会的名声を確立していた画家たちの中で、はたして何人の画家が軍部の意向に反して制作拒否を貫いたであろうか。多くの功なり、名を遂げた画家たちが軍部に意向に従い制作に従事したなかで、なぜ藤田嗣治ひとりが人身御供のごとく、戦争責任の責めを負うこととなり、結果的に故国を捨てることとなったのか。

 西洋画の本場で勝者、成功者となった人間、つまり藤田嗣治への、洋画植民地日本の域を出られなかった人間、いわば敗者の妬み、嫉みに発生する感情に過ぎないのではないか、と思う。ただそのような個人的な妬み、嫉みといった感情が、ある奇縁をもって社会性を帯びて個人の排斥へと流れることの、倒錯した構造こそが問われなければならないと思えるのだが・・・・・・。

図録・解説「MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示」表紙写真

図録・解説「MOMAT コレクション 特集:藤田嗣治、全所蔵作品展示」表紙(東京国立近代美術館)

 このような倒錯は、たとえば今回の展示についての近代美術館の資料展示解説にも見出される。

 そこでは、藤田の作品が西欧の絵画、たとえばラファエロの壁画『ミルウィウス橋の戦い』、アリ・シェフェールの『スリオート族の女たち』などを例証として、西洋絵画の伝統的な技法を踏襲していると具体的に指摘する。そして西欧絵画の伝統を踏まえて、たとえば『アッツ島玉砕』などが描かれているとしている。

 だがそのことが、戦争責任という藤田嗣治の「戦争画」にかぶせられた空疎な批判に対する免罪符として利用していると感じられ、逆に、及び腰といった印象を免れない。そして今もってそこには、絵の価値とまったく関係のない戦争責任という社会的倫理が、亡霊のごとくつきまとっていると感じざるをえない。
 正面きって、藤田嗣治の社会的行動、言説と彼が描いた絵とのあいだには直接的な関係はないといった態度を展開してほしかった。問題は彼の描いた絵だけである。絵がすべてであると絵自身が語っている。

 このことは、藤田嗣治の戦争責任を責める論調のなかにもみてとれる。彼の絵を具体的に批判するものがほとんどなかったことだ。というより、彼の作品を、画才を評価せざるをえないという論者たちの忸怩たるおもいが、文章の行間から読み取れるのである。

 今回、藤田嗣治の「戦争画」をみながら、銃弾に倒れる兵士を撮影したキャパの写真を思い浮かべた。またベトナム戦争期に、ベトナムサイゴン市内で、ベトコン兵士が路上で頭に拳銃を押しつけられ射殺される瞬間を撮った写真のことが、脳裏を掠めた。

 戦争の戦闘場面を描出した絵画作品が戦争責任を追及され、同じように戦闘の中で殺害される兵士を撮った写真は報道写真として賞され、戦争責任を問われる事態から免れているということのなかに、絵画と写真との本質と特性が秘められているのではとも考えた。

 そうしているときに、写真家中平卓馬訃報に接した。