檜山 東樹

PR誌が消えていく

「電子化」という名の廃刊

富士ゼロックスのPR誌『GRAPHICATION』2015年9月発行 印刷版最終号(通巻389号)の表紙

『GRAPHICATION』誌の2015年9月発行 印刷版最終号(通巻389号)の表紙(画:スズキコージ)。創刊3年目以降、毎号のテーマに合わせて異なるアーチストが制作したオリジナル作品が表紙を飾った。

 富士ゼロックスが隔月刊で発行している広報誌(PR誌)の『GRAPHICATION(グラフィケーション)』7月発行号(隔月刊No.199)を開くと、「広報誌『GRAPHICATION』電子化のおしらせ」なるペーパーが差し込まれていて、同誌は次号(9月発行)を最後に電子メディアに移行するという告知がされていた。要するに紙に印刷されたマガジンをやめて電子マガジンにする、ということだ。

 『GRAPHICATION』は1967(昭和42)年に創刊。はじめはゼロックス複写機の販促用ツールのようなものだったが、1969(昭和47)年の1月号からはデザインも内容も一新し、先進的な企業広報誌の貌に変わった。
 折しも、全共闘運動を象徴する東大安田砦の攻防-陥落があったまさに”その時”であるが、同じようにこの時代、既存の価値に対する異議申し立てのムーブメントが世界規模でも沸き上がっていて、そこからカウンター・カルチャー、サブ・カルチャーとよばれる文化や価値の多様性が顕在化してきていた”その時”でもあった。同誌は一企業の媒体でありなが、そうした時代性を敏感に、ある意味ひじょうにラジカルに反映したものだった。

美しい企業広報誌の時代があった

 企業広報誌の発行は企業における広報活動のひとつだが、企業における広報活動の意義や目的を正確に知っている人は、案外多くはないかも知れない。もともとが英語の「Pubulic-Relations(パブリック・リレーションズ)」の翻語で、一般に「PR」というのがその略語である。つまり、企業が社会一般との関係を良好にし、自らの事業や価値観への理解、ひいては存在そのものへの好感・認知を広く得るためのコミュニケーション活動のことで、宣伝や広告といった売上や収益を高めるためのマーケティング活動とは峻別されるのが本来のである。

つげ義春が表紙を描いている『GRAPHICATION』1973年7月号の画像。

『GRAPHICATION』の」バックナンバーから1973年7月号。表紙はつげ義春。「旅へ」がテーマのこの号で、つげは秋葉街道を実際に旅し、数点描画し、掲載している。

 1960~70年代、公害問題もあって企業を見る社会の空気はあまりフレンドリーなものではなかった。それを一種の危機と嗅ぎ取ったのだろう、主要な企業は情報開示と広報、とりわけ自社のイメージアップを図るためのコミュニケーションに力を入れはじめた。そして競うように広報誌(PR誌)を発行した。
 広告やテレビCF製作などのマーケティング投資と比べれば桁1つぐらい下がるにせよ、広報誌の制作には大きな予算がかけられ、有能なエディターと気鋭のグラフィックデザイナーが招聘された。その結果、多くは数十ページの冊子ながら、商業出版社が出すようなそれ自体を売る目的の雑誌より中味の濃い、特徴的な編集と美しいエディトリアル・デザインの印刷誌がいくつも登場した。

 そうして企業出版された広報・PR誌は、その企業の顧客やステークホルダーの他、主にマスメディアの記者・ライターやオピニオンリーダーと言われるような人たちを中心に、ほぼ無料で配布された。インターネット上のブログ記事やツイッターのつぶやきから広がる無名の人たちの口コミが、企業の評価や売上までを大きく左右する現代とは違い、大手メディアやオピニオンリーダーたちが取り上げ著す評価が社会一般に影響力を持っていた時代だったからだ。言うまでもなく、そうした評価が広がることが企業の好感度を高め、パブリック・リレーション・シップを形成し、ひいては自社の事業、商品への信頼につながることになる。

『GRAPHICATION』には企業広報のモデルを感じた

丹下左膳が表紙(村上豊・画)の『GRAPHICATION』No.195(2004年11月:通巻384号)

『GRAPHICATION』No.195(2004年11月:通巻384号)。丹下左膳が表紙(村上豊・画)のこの号のテーマは「時代劇の愉しみ」。個人的嗜好もあって、この号は特に面白かった。

 『GRAPHICATION』はそういう企業広報誌の中でもお気に入りの一誌であった。誌名の「グラフィケーション」とはGrapficとComunicationから成る合成語で、「文字、記号、絵画、デザイン、写真、マンガ、映画・テレビの画面などイメージ(像)によって情報を伝達する方法を総称したもの」だ。前述したように同誌は、創刊3年目から同時代性とも言えるサブ・カルチャーをバックヤードに、文字通り多様なコミュニケーションの姿を取り上げ、そこから時事折々の課題を、精通した専門家やそれを対象化している作家、アーチスト、批評家などの寄稿、対談・インタビュー記事を通して考えるというのが、以後半世紀近い発行年月一貫した編集方針だった。

 繰り返すが、企業の広報・PRは広告・宣伝などマーケティングとは別物であるから、これら広報誌・PR誌には発行企業の事業宣伝を目的としたような記事や自社製品広告はほとんど載せないのが通例である。だから、それを企業の広報・PR誌と知らなければ、大概の人はちょっとシャレた雑誌という印象を持つだけだろう。

 ただ、ほとんどの広報・PR誌は発行企業の本業と領域不可分なコンセプトでテーマの基軸を立ててはいた。たとえばサントリーの『サントリークォータリー』は「洋酒」を、味の素の『奥様手帖』『マイファミリー』は「料理・食」を、IBMの『無限大』は「IT」を、そして、資生堂『花椿』は化粧の本義である「美」を、・・・・という具合に。

ポーラ(現ポーラ・オルビス)の広報誌『is(イズ)』Vol.4(1979年;ポーラ文化研究所発行)表紙

ポーラ(現ポーラ・オルビス)の広報誌『is(イズ)』Vol.4(1979年;ポーラ文化研究所発行)。七字英輔の独特な編集。”直角のタイポグラファー”清原悦志のデザインが美しかった。

 だが上述のように『GRAPHICATION』でのそれは「サブ・カルチャー」であり「多様なコミュニケーションの姿」であって、富士ゼロックスの本業と直接つながるイメージはないし、本誌にも同社の製品広告はもちろんゼロックスの「ゼ」の字も出てこない。読者は奥付を見て、はじめてこれが富士ゼロックス社の出版と知るのだ。広報誌・PR誌としてのその姿勢には日本企業の広報活動には稀有な潔さ、パブリック・リレーションズのモデルが感じられた。

ブルータス、お前もか!

 印刷誌廃刊-電子マガジンへ移行の知らせを受けてから、時間が空いたときに手元に残るバックナンバー(もっとも古い号で1971年の5月号だった。)を遡って、特集テーマ、そのコンテンツと編集構成を振り返って見ている。それぞれに時代性を鋭く感じさせる興味深いテーマに対する寄稿は、一種の問題提起のようにインスピレーションと知的好奇心を刺激する。
表1・表4は別として、ページ組版を含めた本文のグラフィックデザイン(柳忠行)は広報誌・PR誌としては地味なほど堅実・オーソドックス。だが、それを含めてどのページどの記事にも隙のない目配りを効かした編集力の高さは、他の広報誌はもちろん、商業出版雑誌と比べても『『GRAPHICATION』』誌がピカイチで、その意味で「美しいマガジン」だったと思う。それだけに、なくなってしまうというのは残念でならない。

資生堂『花椿』2014年4・5月号表紙

資生堂『花椿』2014年4・5月号

 ・・・と、そうこう思いながら2カ月が過ぎて9月になった。告知通りの「『GRAPHICATION』最終号」を手にしたちょうどその頃、ニュースが入ってきた。80年近い歴史をもち、企業広報誌のリーディング・マガジンとでも言うべき資生堂の『花椿』が、何と、2015年12月をもって月刊印刷誌を廃止、既に開設している電子版(WEB)に一本化するというのだ。

 まさに「ブルータス、お前もか!」である。
 かくして、優れた美しいマガジンがまた消えていってしまう。そこで消えゆくそれらについて、この後もまだまだ書き記すことにする。