藤波 保彦

パリについて私が知っている 2,3の事柄

モンマルトル墓地に眠るフランソワ・トリュフォー監督の墓標

モンマルトル墓地に眠るフランソワ・トリュフォーの墓標


 洋の東西、世代を問わず「パリが好き」という方はたくさんいると思いますが、私の知る限りもっともパリが好きな人は、『パリ、ジュテーム』(2006年)に登場するアメリカ人の中年女性(マーゴ・マーティンデイル)かも知れません。

 フランス映画『パリ、ジュテーム』は、世界各国18人の監督がパリ20区のうちの1区から18区それぞれを舞台にして、「愛」をテーマに一編5分程度の短編映画を撮り、それをオムニバス編集した作品です。タイトルに違わずパリ好きの人にはお勧めの映画ですが、その最終章『14区』(アレクサンダー・ペイン監督)に、彼女は登場します。

 アメリカのコロラド州デンバーで郵便配達の仕事をしている、決して見栄えのしない彼女。ずっとパリにあこがれ、郵便配達で鍛えた足でパリの路地を歩くことを夢みて、フランス語講座に2年も通い・・・と、言わば、パリへ行くためだけに日々の人生を過ごしているような、そんな女性です。
 そして、ついに彼女は憧れのパリへとやって来ます。ところが、着いてから5日経っても時差ぼけが治らず、食事をしようと通りがかりの美容室の女性スタッフに、習い覚えたフランス語で「近くにいいレストランがないか」と訊くと、フランス語ではなく英語で教えてくれたのは、何と中華料理店だったり・・・と、自分の思っていたパリの旅とはどこか食い違うことが多く、だんだん疲れてきます。

 ラストシーン。「小さいけれど美しい公園を見つけました」と、彼女はモンソー公園へやってきます。ベンチに座り、買ってきたサンドウィッチに舌鼓を打ちながら、周囲を眺めているうち、思い思いに過ごすパリっ子たちの様子やフランス語の会話が、いまパリにいる自分を改めて思い起こさせ、ふと、ある感情が湧き上がってきます。
 それは、パリへ行くためだけに過ごしてきたような自分の人生に、忘れていた何か大事なものがあることを思い起こさせます。次の瞬間、「私はパリを愛し始めている」と彼女は思います。そして「パリも私のことを愛している」……と。そう、彼女は旅の最終日に、ようやく愛するパリと出会ったのです。

 パリは何度も訪れていますが、知っているフランス語は数えられる程度で、いまだにただ「パリが好き」と言っているだけの私には、彼女のような感慨の瞬間があったかどうかあまり定かではありません。何せ、私の「パリが好き」は、もっぱら映画に魅せられて・・・ですから。

 16、17歳の頃からヌーベルバーグのフランス映画に傾倒し、映画の舞台となった場所は、いろいろと書物を読みあさり、実際に行って一人で興奮してきました。そんなですから、例えばシャンゼリゼ通りはパリでもっとも賑やかな観光名所ですが、私にとっては、ジーン・セバーグがTシャツを着てニューヨーク・ヘラルドトリビューンを売っていた、『勝手にしやがれ』のその場所です。

2014年10月に催された『没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭』ポスター

2014年10月~2015年3月全国18都市で公開された『没後30年フランソワ・トリュフォー映画祭』ポスター

 ジャン・リュック・ゴダールは84歳の2014年、3D映画をカンヌに出品するなど老いて尚盛んのようですが、彼の長編監督デビュー作にしてヌーベルバーグの記念碑的映画として今も色褪せない『勝手にしやがれ』(1959年)。その原案を作ったのは、恋愛映画の天才と言われたフランソワ・トリュフォーです。
 ゴダールより2歳年下の盟友(後に決別)トリュフォーは、残念ながら1984年に亡くなり、今はモンマルトル墓地に眠っています。

 そのモンマルトル墓地、名の通りモンマルトルの丘にあり、メトロ2号線(または13号線)のクルシー駅で下車します。
 パリには大きな墓地がいくつかあります。それぞれの墓地には歴史上の人物や、いろいろな分野の著名人が眠っているので、その墓を巡るのも面白いパリの旅になります。

 クルシー駅で降りて地上に出るとクルシー広場。この辺りはトリュフォーの映画には欠かせないエリアです。
 『大人は判ってくれない』(1959年)でトリュフォー自身である少年アントワーヌ・ドワエル(ジャン・ピエール・レオ)の母親が父親以外の男とキスしているところを目撃する場所、それがクルシー広場です。

モンマルトル墓地の最寄り駅クルシー駅とクルシー広場の画像

クルシー広場(Place de Clichy)。手前はメトロ駅プラス・ド・クルシーの出入り口。

 そこから墓地の方に向かうと陸橋が見えてきます。この陸橋は、アントワーヌが盗んだタイプタイターを持って友人と渡る場所です。陸橋の下にモンマルトル墓地があります。

 陸橋の手前にある入り口から墓地に入ると墓地図(著名人のみ)があり、誰がどこに眠っているかが判ります。モンマルトル墓地に限らず、この墓地図で目的の位置をしっかり把握しておかないと、自分の逢いたい人にたどり着くまでに時間がかかってしまいます。

トリュフォーの『大人は判ってくれない』にも登場するモンマルトル墓地の上を通る陸橋。

モンマルトル墓地の上を通る陸橋。トリュフォーの『大人は判ってくれない』にも登場する。

 モンマルトル墓地でいつも真っ先に行くのは、勿論、フランソワ・トリュフォーのお墓。訪れるたびに、約30年前(亡くなる1年前か!)にトリュフォーが来日し、ティーチインのような催しがあったときのことを思い出します。
 おそらく「ぴあ」の主催で蓮實重彦氏が通訳・進行されていたと思いますが、会場となった渋谷の映画館は超満員。3時間前くらいから並んで入りましたが、それでもいい席は取れませんでした。しかし40mから50m先には、確かにトリュフォー本人がいて感激したものでした。

 墓石を見ると<1932‐1984>と刻んであります。52歳だったのですね。早すぎました。もう少し長生きしていたらどんな映画を撮っていただろう・・・と、石下に眠るトリュフォーに馳せる思いがこみ上げてきます。

 ちなみにモンマルトル墓地には、エミール・ゾラ、スタンダール、アレキサンドル・デュマ(小デュマ)、ベルリオーズなど、王国時代のフランスの大作家や音楽家のお墓もありますが、近代の日本人画家でパリに住み続けた荻須高徳も眠っています。

 ところで、トリュフォーよりもずっと若くして亡くなったスターの墓所として、ペールラシェーズ墓地も私には外せません。ジム・モリソンがここに眠っているのです。

ジム・モリソンの墓

ジム・モリソンの墓には、1日100人以上の人が訪れる。

 モンマルトル墓地に比べると全体的に明るく公園のような感じですが、ジム・モリソンはこの墓地一番の人気者です。最寄り駅はメトロ2号線のフィリップ・オーギュスト駅。
 2007年の映画『パリ、恋人たちの2日間』では、このペールラシェーズにジム・モリソンのお墓を訪れるシーンがありますが、実景もまさにそのまま。いつ訪れても10人から20人ぐらいの人たちが彼に逢いに来ていて(冬は未確認)、メトロ駅近くのキヨスクのようなところでは、ジムのTシャツとかグッズまで販売されています。

 今や伝説のドアーズのボーカルにして、史上もっとも偉大なロックシンガーの一人であったジム・モリソンが、パリ市内のアパルトメンのバスタブで不慮の死を遂げたのは1971年、27歳の時。もう45年近く経過していますが、未だにその人気は衰えず、墓参者も老若男女。文字通り、時代も世代も超えてロック好きの人々が、彼に逢おうとペールラシェーズ墓地へとやって来るのです。

 ただ、私が知る限りここだけだと思いますが、ジムのお墓の周りには柵がしてあって墓石に触ることはできません。おまけに監視のガードマンまで立っています。もっともこのガードマン、もっぱら携帯電話ばかりいじっていて、真面目に仕事しているとは思えませんが・・・。

 ロックではないですが、ショパンやビゼー、ポール・デュカスといった音楽家、エディット・ピアフにマリア・カラス、そしてイブ・モンタンも、ここペールラシェーズにお墓があります。モディリアニ、ローランサン、スーラ、コローなどの画家たちも。
 あ、そう言えば、『パリ・ジュテーム』にもペールラシェーズ墓地が舞台になっている一話があります。主人公の女性がオスカー・ワイルドのお墓を探しているところから始まる物語です。

『突然炎のごとく』のスチール写真

『突然炎のごとく』 ©1961 LES FILMS DU CARROSSE

 そして何よりも私にとってのペールラシェーズ墓地は、ジャンヌ・モロー主演の1962年のトリュフォー監督映画『突然炎のごとく』のラスト・シーンのその場所です。
 ほんの1分もないカットなのですが、ペールラシェーズ墓地であることははっきりしています。ところが、そこが墓地のどこなのか、実は未だに探しあてられていません。目下その場所を特定するのが、パリに残してきた宿題となっています。