洲之内徹

「四畳半のみ仏たち」より

洲之内徹が所蔵していたガンダラ仏の写真

洲之内所徹が所蔵していたガンダラ仏(新潮社『気まぐれ美術館シリーズ(六冊セット)~気まぐれ美術館』より

・・・・・・・・・・・・・。
 いろんな人の意見を綜合すると、このガンダラ仏は紀元二、三世紀のもの、ガンダラとしては後期のものになるらしい。それには着ているものの襞の具合がどうとか、顔の輪郭がやや丸顔であるとか、いろいろあるのだが、折角教えてもらったことを、私はまたみんな忘れてしまった。
 そういうことよりも、私はこの石仏を見ながら、いつも考えることがひとつある。この石仏を見ていても、ふしぎに仏像という気が私はしない。世話のやけない居候くらいの気でいるのだが、これはどういうわけだろう。この文章の題に「み仏たち」などと私は書いているが、それはなんとなく語呂がいいからそうしたまでで、ほんとうはみほとけとか、ほとけさまとかいう感じはあまりしない。言うまでもなく私に信心ごころがないからではあるが、それにしても、み仏たちという言葉で私の心に浮んでくるのは奈良や京都のお寺の、本堂の薄暗がりの中に静かに立ちたまう仏たちである。あの仏たちとこの仏とは、どこがどうちがうのであろうか。
 いったい仏像とは何なのか。私にも考えられることは、仏というものは歴史的人格ではなく、超歴史的、超人格的な存在で、だから仏像には個性というものがなくてみんな同じような顔容をしており、お釈迦様と如来様と阿弥陀様とを識別するには、その手の結ぶ印によるほかはないというくらい抽象的、且つ象徴的でなければ、人間に帰依の心を起させることなどできないのではないかということである。
 ところで、このガンダラ仏のお釈迦様は、その印というものも結んでいない。ごく自然に、手を膝の上に重ねていらっしゃる。しかし、このときの釈迦は苦行をやめて山を降り、尼連禅河で水浴びをし、伽耶村の菩提樹の下で静観に入ろうとしているところである。当然、そのとき、彼は誰でもするように、こんなふうに手を組んだのにちがいない。その日も釈迦三十五歳の二月八日とはっきり判っている。そんなふうに、私はいつもこの像を見ながら、つい物語的な空想に耽ってしまうのである。仏像という気がしないのは当然かもしれない。
 それはそれとして、この石仏が千七、八百年の歳月を閲して、いま大森海岸の陋屋の中で私と対坐しているという現実には、私は深い感動を覚えずにはいられない。たぶんこのお釈迦様は、ここで二十年暮したとか、あと二十年は生きられそうもないとか言って、いささかの感慨を催している私を笑っているにちがいないのである。

新潮社刊『気まぐれ美術館』所収

[Editor`s Note]

仏像はここ数年ブームになっていて、秘仏公開に多くの観覧者が訪れているようだ。仏像好きの女性が話題になり、仏像ガールとか仏女(ぶつじょ=仏像女子)なる者たちも現れた。もともと仏教は信仰のための偶像であるが、仏教美術のひとつとして仏像を観るイベントも目立つ。東京国立博物館では先頃まで「みちのくの仏像」展が催されていたし、3月からは「コルカタ・インド博物館所蔵 インドの仏 仏教美術の源流」展が開かれている。
仏教美術なり美術品としての仏像について洲之内徹の批評はほとんど記憶にない。そういう観点からするとこの「四畳半のみ仏たち」は、仏像というものに対する洲之内の理解や視点が、例によって脱線気味の洲之内調文脈のなかで、さりげなく語られる。
二十年来棲んでいる大森海岸の四畳半一間のアパートの部屋で、山積みになった図書の背後にガンダラ仏や円空仏が頭を出しているのに気付く。取り出して机に広げた原稿用紙の向こうに置き、久方ぶりに対座してみると、積年の塵芥や煙草の煙ににすすけてずいぶんと黒ずんでいる。そして、それぞれの仏像の入手経緯をめぐる交友録がおもしろく綴られるのだが、目の前の仏像たちへの洲之内が向ける眼差しは、「み仏」としての偶像への尊崇でも歴史的美術品への鑑賞的なものでもなく、いわゆる「居候」へのそれでり、その物言わぬ同居人と長い時を超えて出会い、向き合っていることへの感動であるところに、洲之内徹を独自たらしめた感性を感じるのである。