堀井 彰

写真家・荒木経惟への食べず嫌いが治った



 不意打ちだった。その写真を目にしたときに、熱いものが目頭にあふれてきた。
熱い感情に気持ちが激しく掻き乱されたという実感はなかったが、目頭に熱いものがあふれてきて、いまにも零れそうになったのだった。奇妙な体験だった。
 私が眼にしていた写真には、感情の愁嘆場を演じるような素材は写っていなかった。ただ、空に雲が浮いているだけである。空虚を見つめているような気持ちだった。写真のなかの空虚に私の気持は感応し、熱い感応の塊を落涙しそうになったのだった。
 写真には人影はひとりとして写しこまれていなかった。空と雲だけがあるだけだった。
写真に写しこまれている空虚に私は感応してしまったようだ。
 荒木陽子、荒木経惟共著になる『東京日和』(1993年1月筑摩書房/2010年6月ポプラ文庫)の頁を繰っていたときである。空に雲が写りこむ写真を前に、頁を繰る私の指は動きを止めたのだった。そして写真に写しこまれてある空虚さをひたすら見つめていたのだった。

荒木陽子/荒木経惟・著『東京日和』より「空」の写真収録ページ画像

荒木陽子/荒木経惟・著『東京日和』(1993年1月筑摩書房/2010年6月ポプラ文庫)より



 これまで荒木経惟の写真には常に違和感を持っていた。だから彼の写真を眼にして感情を動かされ、落涙するような体験は予想外の出来事だった。これまでは、つねにある距離を持ってみていたといえる。

 その違和感は、彼の写真との出会いに根ざしているように思える。

 はじめて荒木経惟の写真を目にしたのは、19歳の夏のことである。記憶のなかに鮮やかに残っている。アルバイトで配送の仕事をしていたとき、銀座周辺に仕事があると昼食に連れて行かれる中華料理店があった。
 はじめて店内に足を踏み入れたときに、異様ともいえる店内の雰囲気に眩暈を起こしそうになった。店内の壁はすべて写真と裸婦を描いた油絵が占拠していた。
 写真はすべてがヌード写真であった。壁面いっぱいに貼られていたのは、たぶん何百枚という数のヌード写真だと思う。店内の雰囲気に圧倒され、ラーメンをたべながらも麺が喉を通る実感もなく、壁面の写真を観賞する余裕などはまったくなかった。それほど異様な雰囲気だった。

 壁面を占拠するヌード写真は、世間に流通する美意識からも大きく逸脱し、女性の体臭がむんむんと発散しているヌード写真だった。私は顔も挙げられずにひたすら麺を流し込んでいたように記憶している。
 中華料理店の壁面を占拠するヌード写真が、当時まだ電通の社員だった荒木経惟の作品であったことは後日雑誌の記事などで知ったことだと思う。はじめて写真を目にしたこのときには、彼の名前は不詳であった。

 19歳の夏にはじめて目にしたヌード写真の影響は、後年、写真に関心を持つようになってからも後遺症のように、荒木経惟の写真を眼にするたびに先入見のフィルターとなって働いていたようだ。
 食べず嫌いとでもいうのだろうか、真剣に彼の写真と向かい合うことはなかったと思う。

 いま動揺させられた空と雲との写真には、「90.5.16」という日付だけが刻印されていた。日付だけで、人影一つ写しこまれていない。
 荒木経惟の写真は、過剰なほど人間人の臭いに執着している写真というのが私の中にこびりついていたイメージだった。風景写真を撮影しても、風景を形成する日用の雑貨、雑事、生活風景のなかに、体臭など人間の臭いを捜索するように撮っているというものだった。写真に充満する人間臭が、彼の写真の語り口を象徴し、個性となっていたと思う。
しかしいま、目の前にしている写真には、過剰な人間への直裁な好奇心は姿を消し、ただひたすらに空と雲だけが撮影されているのだった。そこには象徴的な荒木経惟の語り口はない。極端に表現すれば、素人写真家が撮影した写真と受け取れないこともない。荒木陽子、荒木経惟による『東京日和』の中の写真であるから、撮影者が荒木経惟であると理解できるだけではないか。
 しかしながら一見、素人が撮影した写真であるような意匠をまといながら、それでいながら圧倒的な力で見るものの時間を停止させる写真となっている。

 人影を写真に写しこまないことで、逆説的に人を表現できたのではないかと想像してみる。そこには象徴的な荒木節は影をひそめていた、というより荒木節とされていた語り口を超克することで、写真はよりいっそう普遍性を主張しているように思った。同時に、私自身、荒木経惟の写真に対して、食べず嫌いを克服できたと思える。

荒木経惟<空景>写真:豊田市美術館「往生写真集」展より

荒木経惟<空景>写真:豊田市美術館「往生写真集–顔・空景・道」展より。荒木経惟は妻陽子(199年没)が生前入院していた病室の窓から見える空を撮ったのをきっかけに<空景>というテーマで毎日の空を撮り続けている。