洲之内徹

「雪の降り方」より

小野幸吉全画集の表紙

小野幸吉全画集(1987年:小野幸吉全画集刊行委員会編、株式会社本の会刊)




・・・・・・・・・・・・。
 七郎さんが持ってきていたこんどの新しい画集を、私は飲みながらあちこち開いて見て、七郎さんと別れたあと、部屋に入ってから丁寧に見た。見はじめると頁を閉じることができず、前の晩ろくに眠っていないのに一向に眠くならない。躰は疲れていながら、心は却って生返ったような気持になっていた。
 この「生返ったような気持」は文字どおりに読んでほしい。もっとも、それには最近の私の精神状態を分ってもらわなければならないが(他人から見ればおかしいだろうが)、実際、私は毎日を、生きた心地もなしに生きているのである。とはいっても、どう生きた心地がしないかを説明しなければならないが、たとえば、テレビのクイズ番組なんか見ていると、私は生きた心地がしないのだ。私がいま一人で住んでいる蠣殻町の部屋にはテレビがなく、見るとすれば隅田川べりの、ゲンロクマメのいる方の家で見るわけだが、めずらしく私がそこで一緒に夕食をするというようなことになると、ゲンロクマメのママは私をテーブルの、正面にテレビが見える位置に坐らせる。傍でゲンロクマメが面白がって見ているから私も一緒に見ているが、実は、私にはそれが苦痛なのだ。
 面白いといえば私にも面白いが、その面白さが妙に怖い。何という空々しさ。わざとらしさ。そういう番組のあとで画面に鰐が出てきたりすると、鰐が水に潜るのまでヤラセに見える。テレビだけならまだいいが、この頃、世の中のすべてがそんなふうに私には見えるのだ。いったいどうすりゃいいのか。展覧会を見に行けば、大きな声を出した者が勝ちというような絵がずらりと並んでいる。この居心地の悪さ。どちらを向いても私は生きた心地がしない。どこにもこの身を托することのできるリアリティーがない。
(中略)

 そうかあ、と私は思った。何もかも承知の上で空騒ぎをしてみせる。見る方でも空騒ぎを承知の上で見ている。それとも、何もかもが空騒ぎに見える。それがいまの世の中なのだ。空騒ぎにリアリティーがないのは当り前だ。それとも、リアリティーなんかあってもらいたくないというのが現代かもしれないが、その、百も承知の気配こそが現代のリアリティーではあるまいか。それにしても何という煩わしさ、奇怪さ。私はやっぱり生きた心地がしない。
 私を「生返ったような気持」にさせてくれたのは、小野幸吉の(絵の)卒直さであった。この、卒直さ、ということも、私にはうまく説明できないから、画集をみてもらうより他はないが(だから先程、発行所の所番地と電話番号まで書いておいたのだが)、小野幸吉の絵だけでなく、画集に入っているいろいろの人の文章も全部読んで、同じようにその卒直さに搏たれた。そして、人間が卒直であることのできた時代というものがあったのだと、つくづく思った。卒直ということは美しい。いまの世の中にないのはそれなのだ。
・・・・・・・・・
新潮社刊『さらば気まぐれ美術館』所収

小野幸吉「駅頭」油彩 1929年の画像

小野幸吉「駅頭」油彩 1929年(洲之内徹『気まぐれ美術館』;新潮社刊 シリーズ6冊セットより)

[Editor`s Note]

1987(昭和62)年の2月1日、洲之内徹は連載原稿ののゲラ校正を徹夜でこなした後、山形県酒田市に向かった。『小野幸吉全画集』の出版記念会に出るためだった。

小野幸吉は1909(明治42)年3月10日、酒田の酒造蔵元の家に生まれた。絵画を描くことに熱中し16歳で酒田中学を退学、上京して川端画学校に学びながら、パリ帰りの佐伯祐三、里見勝蔵、木下孝則、小島善太郎、前田寛治の5人が興した一九三〇年協会で彼らや林武らと交わりフォービズムに傾倒、将来を嘱望される才能を発揮したが、1930(昭和5)年1月、22歳の若さで病死した。

洲之内は1976~77(昭和51~52)年に、『芸術新潮』の連載で小野幸吉を数回取り上げている(「小野幸吉と高間筆子」;『気まぐれ美術館』所収、「海辺の墓」、「続・海辺の墓」;『帰りたい風景』所収)。また、77(昭和52)年の4月には自らの現代画廊で「小野幸吉遺作展」を催している一方で、同年同時期に酒田の本間美術館では、洲之内が著書『絵の中の散歩』で取り上げた絵画の展覧会(「絵の中の散歩展」)が開かれている。そうした関係から洲之内は、酒田を何度も訪れていた。

雪の降る酒田 山居(さんきょ)倉庫

「風の街」と言われる酒田に降る雪は独特だ。(山居(さんきょ)倉庫付近)。

折りから雪の舞い始めた酒田駅に着いた洲之内を出迎えたのは「七郎さん」こと、本間美術館のキュレーター佐藤七郎。小野幸吉の死後、実家の酒蔵に仕舞い込まれていた遺作数十点は、酒蔵ゆえにひどい黴が生じていた。佐藤はこれを丁寧に洗い落とし、最初の回顧展を本間美術館で開催するのに尽力した。

小野幸吉の絵を「率直」と好感をもって評し、「生き返ったような気持ち」にさせてくれたと記し、「人間が率直であることのできた時代というものがあったのだ」と感嘆する洲之内・・・。

雪化粧した酒田市内

酒田雪景色(フォトライブラリーより)

だが、佐藤から受け取った画集のページを繰るうちに、それまで激しい絵だと思い込んでいた夭折の画家の作品の中に「寂寞と、何か静まり返ったような気配」が画面の底にあるのを感じ、前日徹夜であったにもかかわらず寝付けなくなってしまう。

やがて意を決して床に就こうと思い窓から外を見ると、明けかけた街には「昨夜降り出した雪が烈しくもならず、止みもせず、そのままで降り続いてい」るが、その雪の降り方がこれまで見慣れた酒田のそれではないことに気付いた洲之内は、酒田に在った小野幸吉はこういう振り方の雪をどんな気持ちで見ただろうかと思う。
そして「誰にも分かるはずはないが、しかし、それが分からなくて、幸吉の何が分かるだろう」と、自身もまた、きわめて率直に記すのが、この一文だ。
小野幸吉を介した美術評には止まらない、昨今の時代をも射るような言葉が多いと思う。