海野 清

田島隆夫の彩墨画

『白洲正子への手紙』(文化出版局2000年・刊)の表紙カバーとオビ画像

白洲正子への手紙 二人が遺した文筺から』(文化出版局/2000年)オビには「白洲正子と田島隆夫の、20年にわたる手紙のやりとり。白洲正子が大切にとっておいたという、田島隆夫からの絵を添えた便りがすばらしい。」とある。



 8月、MUSEUM FROM WINDSの企画展「田島隆夫の彩墨画」に行ってきました。とても楽しみにしていましたが、期待以上に充実した作品群が展示されていて、しばらくはワクワクしながら魅入っていました。

 「彩墨画」と名付けたのは白洲正子です。

 「田島さんの絵を世間で普通に言う水墨画とか墨彩画とかいう言葉で私は呼びたくない。よくある枯淡を装って腥く、脱俗を気取って俗臭芬々たるそのてのものと、田島さんのこの、生けとし生けるものと共に呼吸しているような自然な仕事とを混同されたくないからだ。私がそう言うと白洲さんが、では彩墨画はどう?と言われた。その言葉を使わせていただくことにする。」(洲之内徹「画廊から」より)

 また、田島隆夫に「織司(おりし)」と冠したのも白洲正子でした。季刊「銀花」の第47号(昭和56年)に「田島隆夫 織司の余技」という文章を寄せていました。

 「織司という言葉があるかどうか、私は知らない。が、昔は織部の司という官職があったから、織物にたずさわる人間を、織司と呼んでもさし支えはなさそうに思う。むろんこの場合は役名ではなく、織物に通暁した人という意味で、なぜそんな名前にこだわるかと云えば、田島さんは正に「織司(おりし)」の名にふさわしい人物だからである。彼は作家と呼ばれることが嫌いで、職人をもって自任している。たしかに優れた腕を持つ職人には違いないが、こちらに云わせれば、職人からはみ出たものがあり、織師と書いても、釈然としない。そこで、かりに織司と名づけてみたというわけで、つまらないことをすると田島さんには笑われるかも知れない。」

 絵を観て評することなどできませんので、いつものように、田島隆夫の彩墨画およそ三十点の中から一番欲しいものはどの作品か、考えながら眺めていました。日常の傍らにあるもの、身近なものばかり描かれているのですが、絵には神聖さと言ったらいいのか、なにか澄んだものが宿っているように感じました。

 焼かれたとうもろこしが描かれた下に、

 「初熟りとうもろこし 七輪に火をおこして喰う
 いちばんの美味なり 現代画廊にて個展中なり
  一九八四年七月」

という言葉が置かれた作品「とうもろこし 現代画廊」が一番欲しいものでした。この人の作品には、余分なものがない、という印象を受けました。

田島隆夫と白洲正子の間で20年にわたって交わされた書簡集『白洲正子への手紙』(文化出版局2000年刊)より田島の絵手紙画像。田島からの便りが届くと白洲は鋏を使って丁寧に開封し、読み終えると絵のぬくもりを確かめるように、しばらく封筒に掌をあてていたという。

四季折々の「彩墨画」を添えて田島隆夫が白洲正子に宛てた文は百通を超え、それが届くと白洲は鋏を使って丁寧に開封し、読み終えると絵のぬくもりを確かめるように、しばらく封筒に掌をあてていることもあったという。(『白洲正子への手紙 二人が遺した文筺から』より)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 「本日休館」第29号をお届けします。
 今はまだ季刊誌よろしく年4回を目途に更新していますが、いずれ隔月、追っては毎月更新にできるよう、その方法など検討して行きたいと考えています。今後ともよろしくお願いします。とりあえず次回の更新予定は12月です。では、それまでごきげんよう。