檜山 東樹

60年目の『七人の侍』

抜刀して走る志村喬の勘兵衛のカット画像

抜刀して走る「七人の侍」のリーダー・勘兵衛(志村喬)



 公開60周年ということで、ケーブルテレビが『七人の侍』を放映した。3分間の休憩(劇場公開版は5分だったか?)を挟んで3時間27分。1991年に東宝が直営洋画劇場での全国上映用にニュープリントした完全オリジナル版だと思われるが、自身これで何度目になるだろうかと記憶を辿りながらまた観た。

 『七人の侍』の”封切り”(いまどきはこんな言葉を耳にすることもない!)は1954年の4月26日。まだ物心もつかない頃だから当然観てはいない。はじめて観たのは高校生の時。学園祭で上映された、たぶん16ミリのスクリーンだったと思う。時代劇と言えば勧善懲悪の東映チャンバラ映画が刷り込まれたイメージだった田舎の少年にとってそれは、うっかり異物を飲み込んだような衝撃で、戸惑うばかり。映画として楽しむことなどできなかった。ただただ、そのモノクロの映像世界に充満する異様に実存的な人間の息遣いに圧倒され、呆然としたことだけを覚えている。
 その後、黒澤特集のかかっていた名画座で改めて35ミリのスクリーンで観て以来、『七人の侍』は何度も観た。そのたびにこの映画の凄みに嵌っていった。ストーリーもカット割りも知り尽くしているのに飽くことはなかったし、観終わるたびに満足感が大きかった。

 そして60年目の『七人の侍』だ。久しぶりに観て、半世紀以上の時を経てなおこれほどにその凄みの失せない映画は、現在の邦画はもちろんハリウッドはじめ外国映画にもまずないと、つくづく思った。
 黒澤映画の、とりわけ『七人の侍』の、観る者を惹きつけるその凄みとは、細部にいたるまで徹底してリアリティにこだわった映像表現と、小津や溝口と同根異種な日本的美意識に根ざしたスケーラブルで人間臭い世界観であることは今更言うまでもない。今回改めてその凄みを再認識したのは、登場人物たち-すなわち役者たちの,立ち居振る舞いの見事な表現だ。中世日本の、戦乱の時代の世界を生きる人間たちの姿-農民.浪人(七人の侍)、そして野臥り(野武士)たちそれぞれの姿を、ひとりひとりの人物像に止まらず、その所作、動き、身体の使い方にまでリアルに画にして見せている黒澤演出の凄さである。

 矢田部英正は『たたずまいの美学-日本人の身体技法』(中公文庫)で、日本人の身体動作が古来から爪先に体重をかけて立つ「前方軸」の歩行様式を基本とした立ち居によって、欧米やアフリカ大陸の諸民族とはまったく異なる独自の身体技法を歴史的に形成してきたこと、その中心技術として「腰を入れる」と表現される「骨盤操作の技法」が服飾や生活・労働の所作から、武道、能楽・舞踊などの芸道から茶道、禅などに及ぶ伝統文化、日本独自の美意識にまで通底していることを論じている。
 「・・・・・、腰を低くして生活してきた日本人にとっては、地面に対する安定性の高い足腰がなければ、生きていくことのできない生活上の必然があって、それは腰部の筋肉に負担をかけることなく、骨盤の強い骨格構造を有効活用しながら、骨盤の中心から動作を行うような身体技法を生み出した。」と。

宮口精二(久蔵)の殺気漲る脇構えの姿

宮口精二(久蔵)の殺気漲る脇構え

野武士の襲撃を待伏せる農民たちのカット画像

野武士の襲撃を待伏せる農民たち

骨盤の構造(矢田部著書より)の図

骨盤の構造(矢田部著書より)。腰のもっとも反っている部分が骨盤ラインより下にあるか上にあるかによって、腰にかかるストレスの明暗が分かれると考えられる。

 『七人の侍』には、この古来からの日本人の文化的背景から生まれた身体技法が再現されている。抜刀しながら走り出す勘兵衛。演じる志村喬の、まさに「腰の入った」その姿は確かに「前方軸」の摺り足だが、この時代の日本にまぎれもなく居た武士という者の、身のこなしだけでなく、剣術者の心技体をリアルに感じさせ美しい。また、右脇構えに刀身を薙ぎながら視点を逸らさない久蔵=宮口精二の身構えも然り。あきらかに腕にも肩にも力は入っていないが、漲る殺気とともに身体の負荷を仙骨に収斂して骨盤をやや前傾気味に立ち、一瞬のちには柔軟に必殺の動きへ転じて見せる。

 臍下三寸の位置にあって気を貯める「丹田(たんでん)」の裏側にあるのが「仙骨」である。「腰」は欧米語などには翻訳不能な日本語だが、矢田部によれば「腰の入った」状態とは、次のようなことだ。
 「(『丹田』に気を集める)呼吸法によって腹圧が高まってくると、骨盤は自然と前傾し、なかでもその中心になる『仙骨』が腹側に引き込まれてくる。この下半身の基礎をつくってから肩の力を抜くようにすれば、背中の胸椎周辺部には自然な湾曲ができ、動きの支点が仙骨に定まる。」
 こうして動作の中心が定まると、四肢の動きはおのずと骨盤の中心から力が伝わるようになり、どこかの筋肉だけが硬直や緊張するようなことはないのだ。

 侍だけではない。利吉(土屋嘉男)や茂助(小杉義男-この役者は東大安田講堂の壁画を描いた小杉未醒こと放庵の甥である。)ら農民たちも、骨盤を前傾させ、爪先に重心を置いた「前方軸」で走り回る。そして、足首を立てて踵の上に尻を置く「蹲踞(そんきょ)」の姿勢-もう相撲取りにしかできないかもしれないこの坐法も、古くからの日本独特の身体技法である-で、竹槍を握り野盗の襲撃を待伏せる。

 目を凝らしたいのは、彼らの上半身だ。他の映画やTV時代劇の農民によく見かけるような猫背の俯き姿勢ではない。むしろ胸を張ってさえいる。そう、力むことなく自然な形で胸椎周辺部が湾曲する、つまり、腰が入った状態なのである。争闘の場面でだけではない。襲撃に備えて稲刈りを急ぐシーン、そしてラストの明るい田植えのシーンでも観ることができる。

 戦闘シーンの立ち回りにいたっては、もっと明解だ。約束事としての殺陣を超えたリアルな日本の剣術・兵法-いわゆる古武術の演武を見るようで、身のこなしも足さばきも、往時の武士たちが鍛錬し身に備えた武芸の美しさを感じる。加藤大介演じる七郎次の槍遣いにそれが顕著で、日本の槍術の実際(長尺の日本の槍は、突きと引きを間断ない一体動作で行う。素早い引きが敵に外されない威力のある突きを生む。)を見せていてる。
 村を襲う野臥せり(野武士)たちの乗馬術も、西洋馬術の馬の走らせ方ではないし、カメラ映り意識した擬闘馬術でもない。流鏑馬の形で今に伝わる中世源平合戦のそれに他ならない。走らせながら馬上から射かける弓術も、それに対抗して名射手ぶりの矢を放つ勘兵衛の技も、古来からの日本の実践的弓遣いである。

 ちなみに、スタッフクレジットに殺陣師の表記はなく、代わりに「剣術指導:杉野嘉男(日本古武道振興会)」、「流鏑馬指南:金子家教(日本弓馬会範士)・遠藤茂(日本弓馬会範士)とある。ここにも黒澤監督の日本のリアリティへのこだわりと意図が読み取れる。

三船敏郎の菊千代。現代的な喧嘩武術。強いが、可笑しくそして哀しい

三船敏郎の菊千代。現代的な喧嘩武術。強いが、可笑しくそして哀しい

 ただ、一人だけ例外は三船敏郎が演じた菊千代だ。菊千代は勘兵衛率いる侍グループに七人目として押しかけ的に加わるが侍ではない。仲間の6人からも侍とは認めてもらえない。かと言って、彼は百姓でもなく、もちろん野武士でもない。そもそも、菊千代という名すら盗んだ系図から付いた偽称だ。だから、何者でもない菊千代の立ち居振る舞いは、他の登場人物たちと違って野放図だし、戦いの身体操法も無手勝流である。

 その自由奔放な動きや行動は時にコミカルな笑いを誘い、明るく伸びやかにも映る。しかし、言わずもがなのシェークスピアの道化の役回り。村を襲った野武士たちに親が殺された乳飲み子を抱え「これは俺だ!俺もこうだったんだっ」と号泣する彼は、世界を構成する者たちのいずれにもなることのできない、言わばアイデンティティなき悲しみを抱えて彷徨する存在でもある。その意味で現代日本人と重なるように思えるところもある。

『七人の侍』ポスター

東宝株式会社(C)

 『七人の侍』は500年前の日本の世界を、その時代の所作・立ち居振る舞い、古来からの日本人が自然な動きとして有していた身体技法ともども再現してみせた。それは、日常的に洋装で過ごすのが当たり前で生活様式も西洋化した現代の、大多数の日本人から失われてしまった体の使い方である。かと言って現代の日本人は、西洋・アフリカ社会の人種のような身体技法を習得したわけでもない。何とも宙ぶらりんで芯のない、美しくはない動作が目につく。かろうじて「日本人の身体技法」を崩すことなく継いでいるのは、伝統芸能の継承者や茶道家、鍛錬を厭わぬ武術家たちと修行を重ねた禅僧など、ごく限られた人々だけだろう。

 それを強く感じるのは、数こそ少ないものの近年新作された時代劇を映画やテレビで観る時だ。メイクも衣装も時代劇だが、身体の動きは現代のまま。背の高く、脚も長い近代以前の日本人とは異なる体型の俳優たちが多くなったせいもあるかもしれないし、セリフもある程度現代語なのは許せるものの、『七人の侍』を範とするような、徹底したリアリティの志に欠けているし、監督・製作者も俳優も不勉強だ。蛇足だが、この数年で記憶に残っている「腰の入った」時代劇を演じて見せたのは、『鬼平犯科帖』の吉右衛門と『のぼうの城』あるいは『鞍馬天狗』の野村萬斎ぐらい(榎木孝明、松平健も悪くないが)である。それだけに、『七人の侍』には感服するのだ。
 だが、黒澤明の企図に応えて、歴史の彼方の日本人の身体を体現した俳優たちは、そのほとんどが既に鬼籍に入っている。皮肉にもその結果、これからも『七人の侍』は輝き続けるだろう。