ディシー沢板

東京は昔、水の街?

歌川貞房『東都両国夕涼之図』(国立国会図書館所蔵)の画像

歌川貞房の錦絵『東都両国夕涼之図』(国立国会図書館所蔵)



 単身赴任になって2年が過ぎた。健康状態は変わりないが、仕事のせいか気忙しく落ち着かない。土日に家に帰ることもその要因の一つかもしれない。ほぼ毎週の帰省はうれしい反面、自分の時間は少なく、慌ただしい。新幹線に乗ってしまえば楽ではあるが乗換等は面倒である。

嘉永3年の『近吾堂江戸切絵図・日本橋南芝口橋迄八町堀霊岸嶋築地辺之絵

嘉永3年の『近吾堂江戸切絵図・日本橋南芝口橋迄八町堀霊岸嶋築地辺之絵図』(嘉永3年)。江戸が水都であった様子を伝えている。

 新幹線の中では本を読むことが多い。手持ちの本を読み終えると、駅近くの書店で思いつくままに買っては読んでいる。
日本史の謎は「地形」で解ける』と『日本史の謎は「地形」で解ける【文明・文化篇】 』(いずれも竹村公太郎 PHP文庫)もそうして買ったものだ。書かれた内容が真実であるかどうかは私が判断できるものではないが、読み物としては面白かった。『ダ・ヴィンチ・コード』でも読んでいる感じで、「そうだったのか?」と知的興奮が湧いてくる。

東京モノレール線に沿って流れる運河の光景

東京モノレール線に沿って流れる運河の光景

 両書には江戸遷都に絡む家康の思慮の件がある。江戸を“湿地”から“平野”に変えるいきさつは面白い。私も以前東京に住んでいたことがある。京急糀谷の近くに住んで浜松町に通勤していた。朝は京急で京急羽田(現天空橋)まで行き、モノレールで浜松町へ(当時、8時台前半では空港へ向かう方は乗客でいっぱいだが、逆はほとんど乗っていなかった)。

 東京の、生活するエネルギーを吸取る朝のラッシュアワーとは別世界、思いっきり新聞を広げても誰にも文句を言われない通勤。もしその時両書を読んでいれば、快適な通勤の中で、何気なしにモノレールから見ていた風景が、私に「水の街・江戸(東京)」を想像させただろう。

現在の東京湾岸・ウォーター・フロント景観

現在の東京湾岸・ウォーター・フロント景観。オリンピックに向けて更に開発整備が計画されている。

 「下部構造が上部構造を規定する」とは何となく懐かしい(?)文言だが、『・・【文明・文化篇】 』では、歴史的な事実も地球の地形・気象に立脚し、下部構造(交流・エネルギー・食糧・安全)が上部構造(産業・金融・教育・芸術・・・)を規定しているとしている。いわゆる下部構造のインフラが上部構造である諸々の人間活動を形作っていると言えるのだろう。家康が沼地ばかりの“関東湿地”を初めて見たときの気持ちを察してみたいし、“関東平野”にするための気づき(何も考えない“当たり前脳”ではなく、ふと気づく“問題意識脳”の違い)でインフラを整備していくところは感心する。

明治40年の『大日本東京全景図』より築地~浜町周辺の鳥瞰図

明治40年の『大日本東京全景図』より築地~浜町周辺。この図の右下方面が2020年オリンピック用開発予定地。

 歴史の真実は判らない。また、立場によっての見方でずいぶん見解も違う。地形もそうだが、一つの出来事でも立ち位置が違えば意味合い・解釈は幾つにも分かれる。立ち位置が違う人間同士が集まって議論しても、歴史認識の一致などありようが無いだろう。
 歴史観にはふたつの見方がある。観念論(唯心論)な見方と唯物論な見方。
 「観念論とは、観念的もしくは精神的なものが外界とは独立した地位を持っているという確信を表すものである。この主張はしばしば観念的なものが自存し、実在性をもつという主張に結びつく」(Wikipedia)そうだ。観念が自在するかどうかは同意するところではないが、唯物的な歴史が観念的に判断されるのは仕方ないことのように思う。ただ、観念は観念だからこそ憎悪にも化けてしまう。厄介だ。

 月島で屋形船に乗って、隅田川から東京湾に出たこともあった。海からの東京の夜景をつまみに1杯は、おつなものだった。振り向けばこの先は東京オリンピックの会場が広大に広がっている(夢の島広場と名は良いがゴミの埋め立て地)。東京は、湿地を平野に変えながら、どれだけ大きくなるのだろう。過去(歴史)の忘却と未来への過信に掉さしながら、ただただ前に加速しているのか。

家康の命で始まった「利根川東遷」の事業工事図(千葉柏土地改良事務所)

家康の命で始まった「利根川東遷」の事業工事概説図(千葉柏土地改良事務所)。3代家光の代まで60年に及ぶ壮大なインフラ整備で、氾濫湿地から肥沃な平野を擁す舟運水都へ、そして東京発展の礎となった。