築地 政男

“休日は茶畑で”-年越し蕎麦づくり

収穫した蕎麦の実の写真

収穫した蕎麦の実



 「蕎麦のことについて書いてみないか?」と館主よりリクエストがありました。趣味の域にもなっていないのですが、昨夏の種蒔きから暮れの年越し蕎麦を打つまでを、思い出しながら筆をすすめてみます。

 愛用の”高橋書店の黒手帳”を開いて平成25年の8月の日録を追ってみると、
「24日(土曜日)に無償で借りている蕎麦専用の畑で草払い機を使い、刈り倒してあった草を集めて燃やし、小型の耕運機カルチで耕した」
と記してある。前回述べた手術後の時期で、しかも猛暑の最中ですから体力的には結構しんどかったことを思い出しました。冬が終わりかけている今では、あの頃の痛みも嘘のように忘れかけていますが・・・。

 8月29日~9月1日は連日35℃の超暑い日が続いていました。そんな中、8月31日(土)に蕎麦の種を蒔きました。4日後に職場の帰りがけに様子を見に行くと、順調に芽が出ています。
 そして、2ヵ月後の11月2日に母と伯母に手伝ってもらって収穫し、自宅へ運び実を干しました。当年88歳の伯母には「もう今年で手伝いは終わりだなあ」と言われました。年齢からすればそれもやむを得ない。次は省力で作業方法を変えていかなければならないな、と思いました。

 地元の忘年会で、ある人が「草払い機で今年は刈って(収穫して)みたよ」と話しているのを聞いたので、来年は試しにやってみようかとも思っています。ただ、種蒔きの時に母から肥料を撒くことを教えられてきましたが、全体的ではないもののいつも倒伏するところがあるので、そういう箇所は刈り難いことが想像されます。

焼畑を模した籾殻燻炭の様子画像

蕎麦の収穫の後で試してみた焼畑を模した籾殻燻炭の様子

 昔は山で焼畑をした所に蕎麦を作ったという新聞記事を読んだことを覚えていたので、それに近い状態を畑に出来ないかと考えました。そう、蕎麦の収穫の後で籾殻燻炭作業をここでやればいいのではと思い、燻炭を欲しい知人も巻き込んでやってみたのです。3回に分けて燻したので場所を変えましたが、全面とまではいきませんでした。
 実は、茶工場横の茶園は4月に3日連続の凍霜害に遭ったので、味噌作りに必要な大豆畑に一部転作しようかと考えています。その際に切った茶樹を運んで蕎麦畑で焼けば、全面表土を焼けるのでは?・・・と思っています。

 次回こそ窒素を含む肥料は使わず種を蒔いてみたい。楽観的かもしれないけど趣味だから自分の思いつくまま思考錯誤で実践できるのは楽しいものです。教えてくれる師匠はいませんから随分回り道をしているのかもしれませが、それもまた休日農業の楽しみです。平日は職場で効率化やら利益の追求やらで、ギスギスとした環境にげんなりしているのでその反動と言えるかもしれません。

蕎麦を挽く機械写真

これが蕎麦を挽く機械

 さて次は、乾燥させた蕎麦を粉にする作業です。
 家に石臼はあるのですが時間がかかるので、知り合いの方に機械で挽いていただけないかと母が心当たりに問い合わすと、
 「他人のものは挽いたことがないけれど、立ち合ってくれれば挽いてもいいよ」と返事を頂けたのは88歳の男性で、小・中・高校一緒だった同級生の父親の方でした。

 12月22日(日曜)。風も無く快晴で、陽も当たり始めた頃を見計らって、その方の家へ出掛けました。
 機械を二人掛りで納屋から庭へ運び出し、電気の延長コードが届く位置へ据え付けました。挽くのは老夫婦に任せて、私は専ら話をし写真を撮りながら途中玉葱畑へ追肥をしに出掛けたりして、戻ってきた頃には、絹篩をした上に残ったものをもう1回機械に入れて二度挽きが始まっていました。
 わずかなお礼をして家に帰ってきたのは11時を少し回ったところでした。2時間足らずで約2kgの蕎麦粉ができ上がりました。帰りがけに、老夫婦からは別に500gの蕎麦粉を渡され、
 「お礼をもらうつもりじゃなかったから、少しだけど持って行って・・」と。有難く頂戴しました。

 ちなみに、収穫した種は全部挽かず、2升分は来年の種蒔き用にします。我流でしたが、こうして12月30日には蕎麦打ちの準備ができ、文字通り手作り・手打ちの年越し蕎麦で新年を迎えられたぞー!

蕎麦の実と皮が一緒に挽かれて出てくる写真

1回目は実を包む皮も一緒に挽かれ、黒味の混じった蕎麦粉になります。

2度挽きするための絹篩の写真

絹篩をして上に残ったものをもう1回機械に入れて挽きます。

挽き上がった蕎麦粉の写真

挽き上がって蕎麦粉になりました。これを打って手打ちの年越し蕎麦に。