檜山 東樹

奇跡を生きる人たちに出会う旅

ラム酒とキューバ葉巻の画像


夏が来ると、カリブの海を夢見る。アメリカ大陸の北と南を分けるカリブの海へ行ってみたいと、ずっと思っている。とりわけ、メキシコ湾流の南側、ヘミングウェイがカジキと格闘したキューバの海へ。そして陽が傾いたら、海から上がってハバナの街へ。世界遺産の街並みに屯する、つましいが陽気な人々の中へ・・・・。グアヤビータ・ラムのドライを提げ、コイーバをふかしながら。

ご存知?「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」

「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」DVDジャケットハバナと東京の時差は-14時間。日本からの直行便はない。米フロリダから目と鼻の先だが、革命以来のアメリカ帝国主義の国交断絶は未だに続いているから、ハバナへ向かうにはカナダ経由でトロントから乗り継ぐのが一般的だが、フライト時間は16~19時間。貧乏ヒマなしの上に、最近は体力にも不安があるから・・・と、果たせぬ旅先リストの1つになりつつある。しかたないから、せめて映画・映像で空想旅行をすることになる。

ハバナ、そしてキューバへの空想旅にぴったりの映画がある。『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(原題:Buena Vista Social Club)』(1999年,ドイツ・アメリカ合衆国・フランス・キューバ合作)。ドキュメンタリー映画だが、なにせ監督はヴィィム・ベンダースだから、当然ながらスタイルはロードムービーで、観る側も自ずと旅している気分になって引き込まれる。
タイトルの<ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ(B.V.S.C.)>とは、1996年、スライド・ギターの名手でルーツ・ミュージックの探求者としても知られるアメリカの音楽アーチスト・ライ・クーダーが、キューバの老ミュージシャンたちと結成した音楽バンドのこと。バンドメンバーの平均年齢は当時で76歳ぐらい、最高齢は90歳という奇跡(遺跡じゃないゾ!)の高齢者バンドだ。

経済封鎖されたキューバ音楽が世界市場を席巻

キューバの音楽と言うとすぐに思い浮かぶのはサルサだが、そのベースには、ソンやアバネロ、ボレロをはじめ、トローバ、マンボ、ルンバ、フィーリン、チャチャチャなど、キューバ人のアイデンティティに根ざした、多様にして豊かな伝統音楽の水脈が広がっている。古都・サインティアーゴ・デ・クーパは、フィデル・カストロ率いる160名の叛乱兵士が襲撃した陸軍モンカダ兵舎があったたことでキューバ革命の蜂起地として知られ、観光地にもなっているが、19世紀の頃から、そうしたキューバ音楽水脈の源泉だった。古には吟遊詩人がサロンに集い、20世紀には、多くのミュージシャンやシンガーソングライターが伝統に新しい要素・スタイルを加えた音楽の数々を、この古都から生み出し、キューバだけでなく、中南米ラテン音楽のクリエイティブな発信地になっていた。
そのサインティアーゴ・デ・クーパに、革命前の1940年代、「ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ」という名の会員制音楽クラブがあって、気鋭ミュージシャンが活躍していた。B.V.S.C.のメンバーも大半は、当時そのクラブのステージで歌い演奏していたのだった。

ファン・デ・マルコス・ゴンザレス

ファン・デ・マルコス・ゴンザレス

しかし、革命後アメリカとの国交が断絶すると、彼らの音楽活動やキューバ音楽のコンテンツは、国外にはほとんど知られることがなくなり、やがて40年が過ぎる。その頃にはキューバ国内でも忘れ去られかけ、生存さえはっきりしなかった彼ら往年のキューバ・ミュージシャンたちを探し、呼び集め、ライ・クーダーとのセッションバンドとして復活させた仕掛け人は、革命時にはまだ4歳だったハバナ生まれのミュージシャンで音楽監督のファン・デ・マルコス・ゴンザレス。当時44歳。その経緯と彼自身の音楽はフルート奏者加藤克郎のサイトに詳しい。

1997年、ライによってB.V.S.C.バンドのアルバムがリリースされると、欧米各国や日本でも大ブレーク。350万枚のワールドセールスを記録し、この年のグラミー賞を受賞した。そうして、このとびきりファンキーで奇跡的な高齢者バンドのワールド・ツアーが始まる。

ご機嫌な空想旅行もできるけれど、映画の価値は別にある

だが、映画の方のブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブは、B.V.S.C.という音楽アルバム史上に特筆されるバンドの “成功物語”、「忘れ去られた者たち」の“復活ドキュメンタリー”といったものとは違う。

映画のタイトルカット

映画『ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブ』のタイトルカット

映画のストーリーラインには、1998年4月のアムステルダム、カッレ劇場公演や、同年7月1日のニューヨーク、カーネギーホールでのラストコンサート、ハバナのスタジオでのレコーディングなど、CDアルバムを視覚化するような映像も織り込まれていて、B.V.S.C.のナンバーもたっぷり楽しめる。加えて、世界遺産のコロニアル建築が続く街並みや、お馴染みの、防波堤に打ち寄せて宙に跳ね上がったカリブの波が濡らすベイサイドや、冠水した路面を走り抜ける50年型フォードをはじめ、今やキューバの観光資産にもなっている、ノー天気時代のクラシックなアメ車、直径5センチはあると思われる葉巻をくゆらせながら掃き掃除しているおばちゃん・・・と、いかにもキューバな、ファンキーでセクシーでノスタルジックなハバナの街の情景カットが挟み込まれる・・・・。こちらの空想旅の意図を見抜いたような、まさに、ご機嫌なロードムービーではある。

だが、この映画の観るべき価値のあるところは、小津映画の優良な弟子でもあるヴェンダースの美しいカットと、B.V.S.C.バンドとして復活した往年のミュージシャンたちが、自らの生い立ちと音楽人生を語るシーン、彼ら一人一人の日常とその居住まいを捉えた映像だ。

ルーベン・ゴンザレス画像

ルーベン・ゴンザレス

当時79歳のピアニスト、ルーベンス・ゴンザレスが、子どもたちの体操教室(-未来のオリンピック選手育成所だろうか・・・)になっているコロニアル様式の歴史的建物の隅で、体操のリズム伴奏するかのように鍵盤に向かうカットは特に印象深い。彼が公園で語るシーンも美しい。
どの場面、どのカットでも、カメラは映画を観る者の目と同化するような視線で対象を映す。まるで、旅人が初めて出会った光景・事象を好奇心いっぱいに見つめるように。すると、あたかも、自分自身がいまハバナにいて、その場の風景を眺め、そこに流れる時間と空気を、映像の中の人々といっしょに吸い、漂う匂いを嗅ぎ、そこにある音を聞いているような感覚に誘われるのだ。

ルーベン・ゴンザレスのアルバム

ルーベンのアルバム『チャンチュージョ』

だから、彼ら一人一人が自らを語る映像も、自分自身がいま、B.V.S.C.の老ミュージシャンたちと親しく会って、話を聞いているよう思えてくるのである。
彼らの語りには、見得も衒いも、気負いもない。既にアルバムはヒットし、世界中の人々の記憶に残る成功を得て、キューバ国内でも「忘れ去られた者」ではない有名人の彼ら。にもかかわらず、カメラを通して伝わってくるのは、飄々淡々としていながらピュアな人間に特有の真摯さ、すぐにうち解けられそうな親しみやすさに併せ持つ、キューバ人としての毅然とした誇りだ。

90歳で子作りだって!?

ラウーを弾くバルバリート・トーレス

ラウーを弾くバルバリート・トーレス

前出のファンと、当時42歳で、ラウーという民族楽器(6コース12弦の複弦楽器)を巧みに弾くバルバリート・トーレスを除いて、キューバ人のメンバーは皆、65歳以上の老人だが、いわゆる「枯れているのだろう」という見方は当たらない。やはりキューバ独特の民族楽器のトレス(3コース6弦の複弦楽器)を奏でながら、自作のソン『Chan Chan(チャン・チャン)』を軽快に歌うコンパイ・セグンドは、当時90歳(!)にしてこう語っている。

「からだの中を血が流れている限り、俺は女性を愛す。人生でステキなものは、女と花とロマンスだ・・・金じゃない」。
いかにもラテン系キザ男の気取ったセリフ、と思うなかれ。彼は続けてこうも言っている。

コンパイ・セグンド

コンパイ・セグンド

「俺は今だって現役だ。90歳にして5人の子どもがいる・・・が、いま6番目を作っている」と。

爺さん、バケモノか!、と笑いたくなるが、彼が、パナマ帽にダンディな着こなしで歌い弾くステージを観たら、案外ホラではないかも知れないと思えてくる。別のところでの告白によると、当時の彼のお相手の女性は40歳だとか。それならあり得るかも・・・。それにしても、自分の歳の半分以上も若い彼女とは!
我も老いても斯くありたいものだ・・・と思うが、コンパイだけではない。他のミュージシャンたちも皆、外見は年相応の皺や年輪がうかがえるが、それぞれの語りと映像から読み取れる生きざまと立ち居振る舞いには、枯れた諦観など微塵も感じられない。音楽への生き生きとした熱情はもちろん、「いま生きている幸せを楽しんでいるんだ」とでも言うような、静かだが強い自負が伝わってくるのだ。

コンパイ・セグンドのアルバムジャケット

コンパイ・セグンドのアルバム『グラシアス!グレイテスト・ヒッツ

これはいったい、どうしたことなのか? 長寿社会と自賛しながら、実質終わっている老人の多さが悩ましい日本とは大違いの感がするのだが、彼らは、たまたま特別な老人たちなのだろうか?
たぶん、そうではない。我々が世界標準として経験的に刷り込まれてきた生き方の規矩とは違うものさしが、きっと彼らにはあるのだと思った。そのものさしが、B.V.S.C.という奇跡を用意したのだ、と。
世界スキームでは、「カリブの赤い島」として反共フィルターで覆われ、経済封鎖という物理的困難を受け続けてきたキューバ。そこには、B.V.S.C.の彼らと同じく、自らのアイデンティティを保ち、誇りを持って生きてきた人たちが、きっと多くいるのだと思う。

物欲の道を辿らなかった「キューバという生き方」

B.V.S.C.きっての人気ボレロ・シンガーで、世界中でソロアルバムも売れているイブライム・フェレールが、信仰する物乞いの聖者ラサロの像の前で語った、次のことばは印象的だ。
「キューバ人は感謝の気持ちを忘れない。・・・もし物欲の道を辿っていたら、キューバ人はとっくに滅びていただろう」

イブライム・フェレール

イブライム・フェレール

物欲の道を辿らなかったキューバ人――この映画が伝えようとしているメッセージがここにある。それは、物質的充足と消費の拡大を自らの豊かさ・成長の秤としてきた世界標準とは違うものさしによるところの、「キューバという生き方」と言いかえてもいい。

オープニング・タイトル前プロローグ。登場するのは、当時70歳のアルベルト・コルダだ。あの、『英雄的ゲリラ』と題されたチェ・ゲバラの肖像写真を撮ったフォトグラファー。『コルダ写真集-エルネスト・・チェ・ゲバラとその時代』(1998年,現代企画室・刊)にも収められている写真を示しながら、ジョークたっぷりに、ゲバラとの、カストロとの思い出を語る。
これが、導入部だということも、この映画が「キューバという生き方」と出会う旅のそれだという宣言でもある。

アルベルト・コルダとゲバラの肖像写真

アルベルト・コルダと彼が撮ったゲバラの肖像

そうなのだ。ブエナ・ビスタ・ソシアル・クラブに集結したミュージシャンたちが生きているのは、ゲバラとカストロに象徴される革命の国である。
だが、その革命はその後に多くの困難や危機を抱えながら、キューバ人のアイデンティティとそれに根ざした文化・芸術・生活様式などを、教条主義的に破壊することはなかった。むしろ、それを以前より尊重し、制度的にも保全してきた。だから、彼らはそこに生きてきた。世間に忘れられるほど時が経って、その間いくつも齢を重ねていても、往年と変わることない心と音楽の腕、情熱と誇りを、ずっとナチュラルに保ち続けてきた。それはイブライムの言う「物欲の道を辿る」ことがなかった(できなかった)結果の、人間としての豊かな道だ。そんな彼らが体現しているもの――それが「キューバという生き方」なのだ。

赤いフィルターを破って、きっとハバナへ!

B.V.S.C.の紅一点、オマーラ・ポルトゥオンド

B.V.S.C.の紅一点、オマーラ・ポルトゥオンドのアルバム『Buena Vista Legend (Cuba)

思うに、彼らのような、終わらない老人たちが存在し得るのは、キューバの医療制度によるところが大きいかも知れない。医者だったゲバラの意によって、キューバの医学・医療は中南米では質が高いことで知られているし、診療・治療はすべて無料である。先進的な機器や技術導入に不自由している分を、予防医療の徹底でカバーしているとも聞く。
だから、コンパイ・セグンドのような、90歳でも元気でセクシーな老人が何人もいたって、何ら不思議はないのだ。実は、コンパイ自身も、元気なのはこの医療制度があるから、と、あるインタビューで言っていた。
ちなみに、キューバでは教育も大学まで無料で質も高い。また、医薬・バイオ分野の研究開発もレベルが高く、アメリカにとっての新たな封じ込め対象になっているらしい。

イブライム・フェレール2008年のソロ・アルバム『私の夢』

イブライム・フェレールの遺作アルバム『私の夢

革命後のキューバでは伝統的な文化・芸術の活動も制度的に守られた、という点についても、前出イブライム・フェレールの証言がある。
B.V.S.C.の老ミュージシャンたちは革命の前から第一線で活躍していた。彼らに限らず多くの音楽家たちが革命で職を失った、と言われている。実際、職場を求めて亡命や移民したミュージシャンはいる。だが、イブライムは、2003年に来日した際に、インタービューでこう言っている。

「革命は、私に限らず、すべてのミュージシャンにいい影響を与えた。経済的に良くなったんだ。昔は音楽を引退すると、労働組合からの給金はでなくなったんだが、革命後はミュージシャンのレベルに合わせて。それも出るようになった・・・、革命前は、いくつかのオーケストラを仕切っているボスがいて、ギャラも彼が全部とっていたんだが、革命後は、一人一つのオケ、というシステムになり、ギャラも仕事も多くのミュージシャンに行き渡るようになった」(インタビュー・松山晋也,『世界は音楽でできている-中南米・北米・アフリカ編』2007年,音楽出版社)

ピオ・レイヴァの追悼アルバム

ボンゴも叩いた嗄れ声の名シンガー、ピオ・レイヴァの追悼アルバム

そのイブライム・フェレールも、コンパイ・セグンドも、ルーベン・ゴンザレスも、おどけたボーカル・コンビのピオ・レイヴァと“プンティージ”こと、マヌエル・リセアも、そして、大柄で物静かなベーシスト、“カチャイート”こと、オーランド・ロペスも、今はこの世を去った。アルベルト・コルダも。
だが、ハバナに行けば、今でも彼らのような、素敵な人たちときっと出会えると思う。我が老人修行の旅へ、いざ!