堀井 彰

青緑のオブセッション

松本竣介の作品をその初期から晩年にいたるまでの主要な作品を見る機会があった。生誕百年の記念企画ということである。大地に根を張った色彩感覚を作品から受け、素直に作品世界と同化できた。そしてだからさまざまに想像力を飛翔できる余裕をもって作品と向かえあえたと思える。

今回、時間軸にそうようにして作品を見ながら、ある期間の、1930年代後半から1940年代初めにかけて制作された作品群の色彩世界に特異な印象を体験した。青緑を基調とした世界がそれである。青でもなく、といって緑でもなくといった不安感の濃厚な色彩である。不安をそそられる色調であった。

青緑を基調とした松本竣介の作品群を目にして、唐突に村山槐多の一枚の絵が記憶に蘇ってきた。村山槐多18才のときの作品『二少年図』がそれである。村山槐多の作品の色使いと松本竣介の作品とには、青緑という色調が通底しており、作品世界を統覚していた。その色調が不安感の出自であると思えた。はじめて村山槐多の『二少年図』を見たときに、反射的に彼岸という言葉が脳裏を掠めた。しかし彼岸という言葉の出現にはただただ驚かされるばかりで、その出現の由来に明確な論理は自覚できなかった。彼岸の世界とはいいながら言葉ではわかるが、臨死体験すら持ったことはない。

青緑の色彩を基調とした村山槐多の『二少年図』を目にしたときに、彼岸の世界を描いていると感想を持ったが、彼岸という言葉がどのような経緯で脳裏に湧出したのか、その出自は不分明で、ただ彼岸という言葉に惹かれる磁力があったのだろうと想像するほかない。また具体的なイメージも、色彩以外には想像力が及ばなかった。

『二少年図』に添付されている解説に、この作品は永く小説家・江戸川乱歩の愛蔵するところのものだったと記してあった。そしてそのコメントから、江戸川乱歩の作品『押絵と旅する男』が即座に連想されたのだった。この一連の連鎖反応は一瞬に成就され、違和感はなく、首肯されるものとなった。江戸川乱歩が愛蔵していた理由が納得されたのだった。

江戸川乱歩の『押絵と旅する男』は奇妙な味、ふしぎ小説として人口に膾炙されている作品である。蜃気楼、夢、夜汽車、押絵、双眼鏡、男兄弟、美人の押絵といった言葉たちが象徴するように、現実と幻想世界とが、もっといえば生と死とが入れ子構造になっている作品である。数ある江戸川乱歩の作品の中からこの「押絵と旅する男」が連想されたことに奇縁を感じたのである。江戸川乱歩も村山槐多の『二少年図』に『押絵と旅する男』に表現されている世界に同質の感受性を感得していたのではないかと想像した。

村山槐多「二少年図」(2009年12月~2010年1月、東京渋谷松濤美術館「ガランスの悦楽 村山槐多」展図録の画像

村山槐多の「二少年図」(2009年12月~2010年1月、東京・渋谷区立松濤美術館にて開催された「ガランスの悦楽 村山槐多」展図録より)