洲之内徹

「続山荘記」(『気まぐれ美術館』)より

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佐藤哲三の作品と向きあうと、私は、いつも、他の絵には感じない、ある特別なものを感じる。なんとなく客観的になれないのだ。しかも、その感じが作品のほうにあるのか、見る私のほうにあるのか、それが私にはよく判らない。いまも私は、田部さんと話しながら横を向いたり、話の途中で座布団を立って絵の正面に行ったりしながら、そのことを考え続けているのだった。
その感じが私のほうにあるというのは、それは佐藤の絵が、いま言ったように、運命的とでも言えるような係わりあい方で私に係わりあっているからで、いわば、あるプライバシーが、私と佐藤の絵との間に成り立っている。佐藤の絵の前に立つと、例えば大勢の他人の中で肉親を見かけるような感じが、私にはあるのである。それとも、自分が抱いたことのある女を人中で見る感じと言ってもいい。
こういうことでもある。私が佐藤の遺作を探しに最初に新潟へ来たのが六年前になるが、あのとき、私は蒲原平野のまん中を通ってこの新発田の町へ来ていながら、そして、その後引続いて何日もこの近辺を、作品を探して車で走り歩いていながら、現実の蒲原平野よりも、むしろ佐藤哲三の絵の中の蒲原平野を見ていたのだった。実際、あれは九月の半ば頃で、私の初めて見る蒲原平野は秋晴れの明るい陽射しの中で稲刈りの最中だったが、私の心の中には、既に、まだ見たこともない、みぞれの降る頃の冷たい空と、びしょびしょに濡れた暗い野面のイメージが棲みついていた。それというのも佐藤の、あの「みぞれ」のせいなのだ。以来、いまでも、私の眼には、蒲原平野は、常に佐藤哲三の蒲原平野を下敷きにして映し出されている。そもそも佐藤哲三があんなに愛した蒲原平野でなかったら、私もこれほど心を惹かれることはなかったのではないか。私は私だけで、ほんとうにこの蒲原平野が好きなのだろうか、そう思って、ふと不安にさえなることがある。私と佐藤のプライバシーの中身は女ではなく、蒲原平野であるのかもしれない。(新潮社・刊気まぐれ美術館所収)

**「芸術新潮」1974年12月号に掲載された文章です。当時、新潟県新発田市の「画廊 たべ」にて開催された『佐藤哲三遺作展』のことが書かれています。(海野・補記)

佐藤哲三展

佐藤哲三展の図録

佐藤哲三展

写真は1995年2月10日~3月26日、新潟県立近代美術館にて開催された『佐藤哲三展』の図録です。文中の「みぞれ」という作品は折込で紹介されています。