堀井 彰

篠山紀信の写真には浄土を感じる

 「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」は壮観だった。美術館での作品展は初めての出来事であるそうだ。

 まずはその規模に驚かされた。一般にギャラリーで開催される写真展に展示される写真のサイズと桁が違った。サイズの詳細は不明だが、畳を何枚も敷き詰めたサイズに拡大された作品も何点か壁面を占めていた。もはや写真という一般概念を超越している印象である。展示形態そのものに、篠山紀信の写真、写真展に対する態度が表出されていると思った。

 「篠山紀信展 写真力 THE PEOPLE by KISHIN」の写真を眺めながら、親鸞の往相、還相、計らいといった言葉が想起された。昨年末に見た写真展「ATOKATA」で東北の被災地を撮影した写真を目にして、流布されている報道写真や他の写真家たちの写真と較べ、たとえば作品に被災した人々の姿が写りこんでいないことなど、篠山紀信の特異な写真家としての立位置を感じていたことが下地にあったせいかもしれない。

 被災地の惨状をまえにした篠山紀信の態度に、また態度を支える社会、自然、写真への認識に魅了された。被災した人々の生活を撮影することが第一義的に考えることが一般的な感性、認識である。だが彼は被災した人々の姿を写り込ませなかった。そして写真展後に出版された写真集では、被災地の人々を肖像写真として撮影している。今回の写真展にも被災した人々の肖像写真がモノクロ写真で展示されていた。彼らの生活風景が背景に写し込まれていないことが目をひく。あくまで肖像写真である。肖像写真には老人も少年も混在している。そして凄いと衝撃受けたのは、被災という事実の受容の仕方というか、受け止め方が老人と少年とでは異なるという事実が、被写体の表情や姿勢に読み取れることだった。老人の表情には、生活を破壊された被災者でありながら、人を魅了する微笑さえ表情に読み取れる。そして少年の表情はあくまで事態を受け止めきれない当惑そのものを表出していた。

 写真展「ATOKATA」の案内状に記された篠山紀信の言葉は彼の時代へ対する立位置を鮮明に告白していると思った。めずらしく写真ではなく言葉で表白している。それは次ぎの言葉である。

「あとかた
2011年3月11日14時46分。自然は、圧倒的なエネルギーによって自らを破壊した。わたしたちは、かつてこの様な有り様を目にした事は無かった。初めて見る光景、一瞬の内に起こる生と死の体験。人間が生きるという事が、なんと不条理なことであるかを思い知らされた瞬間。自然による新しい自然の創造。それは神の悪戯でも凄惨な地獄でもなく、静謐で尊く、荘厳な光景であった。僕は自然の力に畏怖し、畏敬をもって凝視するしかなかった」

 ここに表白されている篠山紀信の姿勢は、もちろん自然災害にかぎらず、社会的出来事に対しても踏襲されているのではないかと思われる。

 今回の写真展で役者の肖像を撮影した作品は大きな位置を占めていたが、そのなかでも満面笑みをたたえた渥美清の写真には、展覧会に冠せられている「写真力」という言葉そのものが露出されていて、刺激的だった。渥美清の肖像写真の前に立つと、満面笑みを浮かべる顔の中に、人を怯えさせるような眼光があった。笑みの中で、彼の目は違和感を醸成していた。目の光が無機質な感情を消去された光だった。普段、画面で目にする寅次郎の姿からは見過ごされる不気味な存在であった。日々の日常生活ではめぐりあえない光を湛える目である。もし本当の渥美清という存在を考えることが出来るなら、その暗喩であるかも知れない。怖いというのが第一義的に感受された印象だった。

 以前に一度、同じような体験をしたことを思い出した。それは先代の林家三平師匠と対面したときのことである。言葉を交わしながら師匠は満面に笑顔をたたえていたが、師匠の目は感情がまったくうせた無機質な光を放つ硝子玉のようだった。そのときも冷たい怯えに似た感情が背筋を走ったことを記憶している。永くそのときの体験はなんだったのだろうかと訝しく内省する機会を持っていたが。

 会場で同じような衝撃を感じた写真の一枚に坂東玉三郎の「助六由縁江戸桜」揚巻の衣装を纏った肖像写真がある。会場には歌舞伎役者たちの見得を切ったクローズアップ写真も多数展示されていたが、絢爛豪奢な衣装をまとっただけの立姿の坂東玉三郎の姿に、迫力を感じた。動ではなく、静謐を湛える迫力とでもいうか。遠くを見やる表情だけが趣向ではあるが、彼の透徹し凛とした意志力が目力に憑依し、見るものを圧倒していた。
目は口ほどに物を言う、という古色蒼然とした俚諺があるが、渥美清、坂東玉三郎といった人たちが卓越した芸能人でありつづける秘密が計らずも目力として写真に露出されている瞬間だったのではないか。
 渥美清や坂東玉三郎たちの芸能人としての凄さが彼らの目に計らずも象徴されているように、彼らの凄さの本質を写真に定着させた篠山紀信の写真家として写心力の凄さがこの計らいのなさに窺い知ることができるように思えた。

 数少ない写真についての言及の中で、篠山紀信は71年にブラジルのリオのカーニバルを撮影した『オレレ・オララ』が転換点であると表白している。写真への認識が彼の中でどのように転換したのか、どのような体験が契機だったのか、詳細は不明である。ただ今回、この転換を具体的に写真を素材にして体験する機会が持てた。

 

60年代の篠山紀信写真集『THE SIXTIES by KISHIN』

『Death Valley』はじめ篠山紀信の60年代の作品はパイインターナショナル刊の『THE SIXTIES by KISHIN』で観ることができる。

 篠山紀信の60年代末に出版され傑作との賞賛を浴びた写真集『Death Valley(死の谷)』はしばしば見る機会があった。そして被写体をねじ伏せようと写真美学の粋を極め疾走する作家意識を強烈に感じていた。しかし79年に出版された少女たちのヌードを被写体とした『激写・135人の女ともだち』では篠山紀信の気配は写真から消滅していた。写真美学の粋を極め疾走する作家の姿は後景に退き、写真に写り込んではいない。極端な表現を使えば、素人写真とでもいえる写真である。それでもそれまでの写真史のヌード写真とは歴然と次元を画する作品にしあがっていた。写真家が自己滅却した結果、被写体である少女たちが露出してきたといえる。少女たちも輝いているが、篠山紀信の写真も凄い。その極が、宮沢りえを被写体とした『Santa Fe』である。写真集『Death Valley』と比較するとき、鮮明に、写真家篠山紀信の立位置が百八十度転換していることが理解できる。
 『Death Valley(死の谷)』では主役は写真家篠山紀信である。しかし『激写・135人の女ともだち』や『Santa Fe』では主役の座は宮沢りえや135人の女ともだちに譲り、篠山紀信は黒子に徹しているといえる。しかしにもかかわらず、写真はまぎれもなく篠山紀信の写真であることが凄い。

 昨年末、3.11大震災の被災地を撮影した『ATOKATA』に接し、時代の中で被写体と向きあう写真家篠山紀信の立位置に関心を抱いてきた。「ATOKATA」展に寄せた彼の言葉にも、衝撃を受けた。そのような衝撃を与える写真の背後に、何があるのか。人間、自然に対するどのような認識をもっているのか。そのようなことを考える中で、親鸞の往相、還相、計らいといった言葉が想起されたのだった。
 今回写真展を見て、写真家篠山紀信の写真による思考の一端を垣間見ることができたような気がする。
 篠山紀信の写真は何を被写体とするかにかかわらず、健康的である。まるで浄土を思わせる雰囲気が漂っている。